2007年11月20日火曜日

あの夏、いちばん静かな海




かなり長い間、ブログを更新していなかった。
この2ヶ月間、ほとんど休日らしい休日はなく。毎日のように仕事に追われていた。
仕事は楽しくやりたい。仕事に限らず全てのことを、できるだけ楽しくやりたい、というのがモットーだが、この2ヶ月間はかなり苦しかった。
久しぶりにストレス性の痛風発作にも襲われ、早朝覚醒型の睡眠障害にも悩んだ。

そのストレスの原因は、たった1つの仕事。30年ちかく編集の仕事をしてきたが、今までに経験したことのないクライアントの対応に、仕事を途中で断ろうかと、何度も思った。
しかしその度に、持ち前の負けず嫌いが頭を持ち上げ「受けた仕事は何があってもやりぬく、ここで逃げたら負けだ」、「今まで、できなかった仕事はない」と自分を鼓舞した。
弱気になったり、強気になったり。
そしてやっと、その仕事も終わった。校了の瞬間には達成感も充実感もなかったが、解放感はあった。そして思った。この仕事もいつか楽しい思い出になることだろうと。

辛い時に、必ず見たくなる映画がある。北野武監督の「あの夏、いちばん静かな海」である。
「その男、凶暴につき」でデビューした彼の3作目。1991年の公開である。

主人公は若い男女。恋人同士である。
しかし、2人の間に全く言葉は存在しない。2人とも聴覚障害者なのだ。
休日になると、男はサーフィン、女は波間に見え隠れする男の姿を浜辺にすわって見つめる。2人の間に言葉はないが、久石譲のメロディーが見事に2人の感情を表現する。

そして、突然、男が死ぬ。死ぬというより消える。
少し遅れて浜辺に行った彼女が見たものは、波打ち際で揺れるボードだけだった。静かすぎる海で、男は突然消えてしまうのである。そこには、苦しさも、寂しさも、悲しさもない。

ここから、この映画の凄さが始まる。それは女の回想シーン。
それまで、女は男が波に乗る姿を浜辺に座って、ただ眺めているだけだった。
しかし回想シーンでは、砂浜に置かれたボードの上で波乗りの真似をして、ふざけたり、はしゃいだり、いかにも溌剌と楽しげに描かれているのである。

この回想シーンをどう考えるか。私は「彼女の心の中の真実」だと思った。
記憶の断片は時間と共にそぎ落とされ、時には新たな物語を紡ぎだす。そして人は、自ら創り出した物語を頼りに生きていくこともある。

だからこそ、北野武はこの映画のタイトルを最後の最後にもってきた。
エンディングの波の音の中に「あの夏、いちばん静かな海」という文字が現れた時、現実と記憶が交錯し、明日が始まる。