2007年9月9日日曜日

麦の穂をゆらす風



末の息子と「かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール」で行われた『林英哲&山下洋輔DUOコンサート』を聴きに行った。
山下洋輔が65歳、林英哲が55歳とは思えない、エネルギッシュで迫力ある演奏だった。特に第二部のボレロが素晴らしかった。

第一部は、それぞれのソロだった。出張の疲れもあって山下洋輔の演奏時には眠ってしまったが、太鼓の音には、身体の一つ一つの細胞が揺り動かされて覚醒していく心地よさがあった。

私が2人のDUOを初めて聞いたのは1988年のこと。20年前に佐渡島で行われた第1回目の国際芸術祭「アース・セレブレーション」だった。その時は、今年25歳になる長男(当時5歳)を連れて行った。

コンサートの後、息子と焼き肉を食べた。彼は最近、映画に凝っているらしく。KEN LOACH監督の『麦の穂をゆらす風』が良いと言った。早速、DVDを借りてきて見た。

『麦の穂をゆらす風』は、20世紀初頭のアイルランド独立戦争とその後の内戦が背景となっている。戦いの非情さに心を痛めながらも祖国の自由を願う青年と政治的価値観の違いからその青年を銃殺せざるを得ない青年の兄。そこには、大国の侵略と横暴に翻弄される人々の、どうしようもない悲しさが描かれていた。

配給は、李鳳宇のシネカノン。彼はこの映画に祖国を見たのかもしれない。

その映画のスポット広告コピーがなかなかいい。
  愛する者を
  奪われる悲しみを
  なぜ人間は
  繰り返すのだろうか

2007年9月7日金曜日

台風サバイバル



9月6日の夕方。ANA041便で伊丹に行こうと羽田に着くと、台風の影響で欠航。急遽、東京駅から新幹線で行くことにする。しかし、東京駅に着くと新幹線も動いていない。18:30なのに、17:25発の「のぞみ255」がまだホームに止まっていた。

一旦は諦めて、明日出直そうかと考えたが、もしかしたら動くかも、という何の根拠もない期待と台風の上陸が遅れると明日の午前中の新幹線も混乱する可能性が高いとの思いから、しばらく、のぞみ255の車中で待つことにした。

そこでまず、駅弁とお茶を買ってきて夕食。その後、遅れている原稿の校正を始めた。新幹線の車内で仕事をするのも、なかなか乙なもの。ミュージックチャンネルで音楽を聴きながら、車内販売のコーヒーを飲む。その上、東京駅には公衆無線LANがあるのでインターネットは使い放題。かなり快適だ。

そのうち、このままこの列車が走りだすまで、ここで仕事をしよう、という気持ちになった。朝まで動かなくてもいづれは動く。動く時はこの列車が最初だ。

21:30★以前状況は変わらず。車内アナウンスは30~60分に一回程度。気象庁発表の台風の位置を伝え、最後に「運行の見込みは立っておりません」という。現在台風は、石廊崎の南70kmにあって、時速15kmで北北東に向かっているらしい。いずれにしても東海地方に向かっており、それを考えると、当分列車は動かない。そこで、ペットボトルの水2本、煙草2箱、「SOYJOY」を1本、買ってきた。

22:20★2杯目のホットコーヒー。少し疲れたので砂糖をたくさん入れて飲む。北へ向かう新幹線は予定通り次々と発車している。だんだんと風雨が強くなり、雨音が車窓に響く。ホームも横殴りの雨でぬれ、人も少なくなってきた。諦めたのだろうか、乗客が一人また一人と帰っていく。車内は静かである。少し寂しい。

ミュージックチャンネルでは、24年ぶりに活動を再開して『In the prime』というアルバムをだした女性デュオ「あみん」の特集をしている。彼女たちが活躍したのは1980年代の前半。代表作「待つわ」は今でも時々耳にする。雨の車中で聞くと、当時が懐かしく思い出される。ちょうど私が会社を立ち上げた頃である。In the prime=まだまだこれから、といった気分だ。

22:40★社内の電光掲示板に表示される台風情報を読んでいたら、「運転が再開されるもよう。詳しいことが分かり次第またお伝えします」と、車内アナウンスがあった。にわかに社内がざわざわしてきて、どこで休んでいたのか、たくさんの乗客が乗ってきた。

22:50★台風は依然石廊崎の南60kmにあって時速15kmで神奈川県を目指しているらしいが、「10分後に出発する」という車内アナウンス。そのアナウンスがなかなかチャーミング。「風の合間をみて、前へ前へと進んでいきます」。「前へ、前へ」という言葉が実に頼もしく、ウキウキと響く。

22:57★2~3分後に、まず品川を目指して出発すると車内アナウンス。

23:00★のぞみ255は、滑るように東京駅を出発。夜行列車「のぞみ」に乗るのも乙なものだ。

23:19★やっと走り出したと思ったら。急停車。新横浜~小田原間で送電がストップしたらしい。車内にざわめきが起こる。なかなか、一筋縄ではいかない。そう思っていたら、23:22にまた走り出す。一安心。

23:33★小田原で停車。「風が強くなってきたので、停車して、しばらく様子をみる」という車内放送。台風に向かっているのだから、当たり前といえば当たり前だ。後続の下り列車も隣の線路に停車。

23:41★台風は石廊崎の南40km。自転車並みのゆっくりしたスピード、こちらに向かってくる。

23:47★小田原駅を発車。スピードが徐々に速くなる。「前へ、前へだ」。

 0:15★順調に走っている。背中が痛くなって来たので校正仕事はやめにして、車窓の外を眺める。相変わらず強い雨が降っている。

 0:23★3杯目のホットコーヒー。検札に来ないことに気付く。これならグリーン車は乗り放題。

 0:40★ミュージックチャンネルをNHKラジオに変えると「ラジオ深夜便」が流れてきた。この放送は非常に懐かしい。数年前に入院していたとき、眠れない夜は、いつもこの放送を聞いていた。この放送でいつも不思議に思うことは、世界の主要都市の天気予報を伝えること。ロンドンやパリにいる子供や孫に思いを巡らす老人がいるのかもしれない。しかし、新幹線の中で「ラジオ深夜便」を聞くことになるとは思わなかった。

 0:51★豊橋駅を通過。風雨はおさまった。どうやら台風の影響下を脱したようだ。列車は順調に「前へ、前へ」と進んでいる。

 1:00★台風は伊東市に接近。ここまで来ると、台風情報も気にならない。

 1:09★名古屋駅着。
 1:45★京都駅着。

 1:59★★のぞみ255は、やっと新大阪駅のホームに滑り込んだ。

 2:20★ホテル着。会社を出てから約11時間。長かったけど楽しかった。おやすみなさい。

2007年9月4日火曜日

出雲大社の前には朝鮮半島があった




取材で出雲に行ったので、長い間訪ねたかった出雲大社に行く。
写真をみるとうっそうとした山の中に建つようにみえるが、実際は日本海に向かって建っていた。出雲大社の正面には日本海。その先には朝鮮半島。まさに、ここは大陸に向けて開かれた玄関。かつてここに朝鮮半島から、多くの船が通ってきたのではないか。そんな空想を喚起する。実際、出雲大社のそばの海岸には、ハングル文字が書かれた漂流物がたくさん流れ着くという。

瀬島龍三が死んだ。95歳だった。
大本営参謀本部にいた彼の作戦で、多くの日本人とアジア人が死んだ。彼は1995年に「太平洋戦争は自存・自衛の戦いだったと信じている」と語っている。まさに、太平洋戦争の責任者の一人が全く責任を取らずに、何も語らずに、死んだ。合掌。

2007年9月3日月曜日

『パッチギ!的』を読んで

映画『パッチギ!』のプロデューサーである李鳳宇の著作『パッチギ!的』(岩波書店刊)を読んだ。その中に『パッチギ!』のテレビでの宣伝スポットにまつわるエピソードが載っていた。

宣伝スポットは、事前にテレビ局の考査を通す必要がある。その考査も無事通過し、後は流すだけの段階になって「あのスポットは流せない」という事態に遭遇する。その理由は、「もし結婚したら朝鮮人になれる?」というキョンジャが康介に問うセリフを、局の役員が問題にしたためだった。このスポットを流せば「ある勢力から確実に嫌がれせを受ける」とその役員は恐れたという。こうした自主規制は「イムジン河」を日本の音楽界から葬った姿勢と同じで、著者は「これはハッキリ言えば戦前の検閲に近い暴挙だし、一種の妨害だろう」と記している。

「もし結婚したら朝鮮人になれる?」。同じ言葉で問われたことがある。今から35年前。戒厳令下のソウルでのことだ。当時大学2年だった私は、ソウルの延世大学に短期留学していた。その時知り合った19歳の韓国人女性に恋をしていた。ちょうど『パッチギ!』が描いた、まさにあの時代。当時の日本人の韓国・朝鮮人に対する偏見と差別は、今とは比較にならないくらい大きかった。私が大学で朝鮮の思想史を勉強したい、と高校の教師に言うと、「朝鮮に固有の思想があるのか」と教師が問う時代だった。

「もし結婚したら朝鮮人になれる?」。彼女は「韓国人になれる」とは聞かなかった。彼女は国名は大韓民国だが私たちは朝鮮民族だ、とよく言っていた。つまり、単に国籍を問うていたのではなかった。その時、私は「朝鮮人になれるさ」とは答えられなかった。

李鳳宇は記す。「この映画は民族の壁を乗り越えて、愛情を育もうと訴えているし、強いて言えばこのセリフを聞かせ、それを観客にもち帰ってもらうための映画なんだ」と。

私は35年前に同じ言葉を聞いて、その言葉を日本にもち帰ったつもりだった。しかし、ずっと長いこと、忘れていた。そして、『パッチギ!』のラストで同じ言葉を聞いた時、当時の記憶を鮮明に思い出した。そして、自分に問うた「お前は、本当に彼女の言葉をもち帰ったのか?」と。