2008年2月23日土曜日

私の心臓の話 その2


心房粗動による頻脈が数ヶ月続くとかなり疲れてくる。そこで、入院して電気的除細動を行う。

静脈麻酔で寝ている間に、前胸部と左側胸部の上に直径10cmほどの電極をあて、100W程度の通電を行う。すると心臓が“感電”して一旦止まる。そして再び動き出した時には洞調律(頻脈が止まる)に戻っているのである。

この処置は、麻酔が効いている間に行われるため痛みや苦痛はない。しかし、通電した胸部は軽いやけどで赤くなり、しばらくの間ヒリヒリしている。

麻酔から目覚める時には、いつも多幸感を感じていた。それは、麻酔薬の影響によるものらしく、何とも幸せな気分に浸る。

しかし、あの時は違った。麻酔から覚めて私は、恐怖のどん底にいた。それはまるで、酸素の切れたボンベを背負って、必死に水面を目指すが、なかなか水面に辿り着かず、ゆっくりと気が遠くなっていく恐怖感に似ていた。

ベッドサイドで私を見つめていた数人の医者と看護師の顔つきも、いつもと異なっていた。彼らの眼差しには安堵感と不安感か交錯していた。

後から知ったことだが、通電後しばらくの間、私の心臓は動き出さなかったという。しばらくの間といっても十数秒から数十秒のことである。しかし、酸欠によって脳がダメージを受けることを危惧した主治医は、心臓が自発的に動き出すまで、心臓マッサージを行って脳に血液を送っていたという。

その間、私は非常にリアルな夢を見ていた。
なぜか、私はベトナムのジャングルにいた。敵に追われ、銃声と怒号の中を這いずって逃げていた。やがて、敵の足音が間近に迫って来た。「見つかった! もう駄目だ! 殺される! 死ぬんだ!!」と感じた瞬間に目が覚めたのである。

その時の、徐々に敵に追い詰められる恐怖感は、1年半以上たった今でも、身体に残っている。

2008年2月18日月曜日

逆流性食道炎


アルコールや冷たい水を飲むと、食道が沁みるように痛むので、友人の消化器内科医に相談したところ、「逆流性食道炎だと思うが、一度、内視鏡検査をしたらいい」と言われて、早速、検査を受けた。

内視鏡スコープの管が太いと喉を通過する時に苦しいため、現在では直径わずか5.9mmという、従来の内視鏡スコープのおよそ半分の「経鼻内視鏡」がある。しかし私は、管は太いが画質が最も良いハイビジョン内視鏡で診てもらうことにした。

事前に聞かされていた咽頭反射はほとんどなく、喉を通過する時に少し苦しいだけだった。まさに「喉元過ぎれば、なんとやら」、といった感じだ。
一方、期待していた映像は、非常に奇麗。熟練した内視鏡医なら1mmの超早期胃癌でも見つけることが可能だという。

食道から胃へ、そして十二指腸へとスコープの先端が移動する。自分の腹の中を眺めるのは、実に不思議な気持ちだ。

結果、予想通り逆流性食道炎で、胃酸によってできた潰瘍が食道にくっきりと浮かんだ。胃には軽い糜爛がみられたが、癌やポリープはなかった。

この内視鏡検査を行ってくれた友人は、横浜にある650床の病院の消化器部長で、4名のスタッフで年間6500件の上部消化管検査、1800件の下部消化管検査をこなし、外来患者と病棟に入院している患者を診ている。

しかし、昨年の秋に中堅のスタッフ2名が、待遇のよい私立病院に移ったため、残ったスタッフで内視鏡検査を行い、外来患者と入院患者を診ていては、いづれ医療事故が起きると判断し、経営側と交渉したを繰り返してきたが、現場の意見が受け入れられなかったため、この春に病院を辞めて開業することになった。

検査の後、一緒に食事をしていた彼が一言「もう、疲れたよ」と言った。その言葉には、諦めと悔しさがにじんでいた。

彼は、内視鏡で早期癌を切除する内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)のパイオニアの1人でもある。しかし開業するとESDはもはやできない。今後、彼の経験と技術は、若い医者に伝わることはない。

医療崩壊。それは、病院が少なくなるだけではなく、経験豊かな熟練した医師が病院を離れることで、最先端の医療技術そのものが消滅する危機でもある。

経験豊かで高い技術をもった医者ほど忙しい。使命感に燃えている時はいいが、いずれ疲れて燃え尽きる。45歳以上のベテラン医師が病院を離れるのは、その苛酷な労働条件のためである。

2008年2月17日日曜日

私の心臓の話 その1



私は生まれつきWPW症候群(Wolff-Parkinson-White syndrome)という不整脈(頻脈)が起こる病気をもっていた。その症状は、「何か」をきっかけに心拍数が突然早くなる病気で、私の場合、1分間に200~350回の心拍数が30~60分続いた。もちろん、その間はかなり苦しいのでベッドで横になる。すると、ベッドごと揺れることもあった。この頻脈発作は、何の前触れもなく突然始まり、何の前触れもなく突然終わった。

自然に止まるので、治療をせずに長年放置していたところ、今から4年ほど前に発作が止まらなくなり、心房細動を併発して急性心不全を起こした。急性心不全で血液が十分に体内を循環できなくなったため、引き続いて急性肝炎、急性腎炎を起こした。気がついた時には、尿が出なくなり、強烈な疲労感と寒さに襲われ、救命救急センターに運ばれた。

当初は透析も覚悟したが、救命救急センターのスタッフのおかげで、約1週間で一般病棟に戻ることができた。

その後、WPWのアブレーション手術を2回行って、その原因を取り除くことはできたが、その後、心房細動と心房粗動に苦しむことになる。心房粗動もWPWと同様に「何か」をきっかけに心拍数が早くなる病気で、私の場合、1分間に160~180回ぐらいであった。

WPWで頻脈に慣れているので、そんなには辛くはない。3、4日も続くと慣れてしまう。心拍数を落とす薬もあるが、私の場合、最大量を服用しても120回までしか落ちなかった。
この心房粗動は自然に止まらないので、しばらく続くとだんだんと疲れてくる。特に腹部の脂肪が目に見えて少なくなり、ウエストは1か月で数センチ減る。それほどのエネルギーを心臓が必要としているのだ。

そこで、そろそろ疲労の限界と感じると、入院して電気的除細動を受ける。麻酔下で心臓に電気ショックを与えて拍動をリセットするのである。

数ヶ月ごとに電気的除細動を受けているうちに、今度は徐脈も起こるようになった。拍動と拍動の間隔が開き、1分間の脈拍数が40回ということもあった。徐脈もまた苦しく、特に長い時間、歩くことが困難になってくる。

また、夜中に苦しくて飛び起きることもあった。たぶん、拍動と拍動の間が数秒間あいたため、脳が危険を感じて起こすのであろう。その度に、「心臓が止まる!!」という、とてつもない恐怖感に襲われて飛び起きる。目が覚めて心臓に手をあてると、その時は動いている。その時はホッとするが、飛び起きた時の苦しさと恐ろしさで、再び眠ることはできなかった。

心臓がなかなか動き出さないことは、電気的除細動を行っている時にも起こった。麻酔から目覚めると、ベッドサイドにやたら医者が集まっている。不思議に思って聞くと、なかなか心臓が動き始めなかったという。そこで、脳にダメージが起こらないように、医者は心臓マッサージを行ったという。

実はその間、私は恐ろしい夢を見ていたのだ。
(夢の話は次回)

2008年2月14日木曜日

大阪名物「串カツ」 リポート



先週は取材で、広島⇒大阪⇒四国松山と、4泊5日のどさ周り。
大阪国際会議場での消化管学会の取材が一段落した夜。
さっそく、大阪名物の串カツを食べに新世界に行った。
案内してくれたのは、大阪のカメラマン。
まず目指したのは、串カツの老舗「だるま」。


しかし、週末金曜日の7:30とあって、長蛇の列。

1時間待ちは厳しいので、向かいにある「壱番」へ。


お店の中はレトロ調で、昭和60年代の曲がかかっていた。


さっそく、「串カツ」と「どて焼き」を注文。
最初に、どて焼きがきた。
どて焼きの「どて」とは何を意味するのか。
カメラマンは「ホルモンのことだ」という。わたしは「味噌のことだ」と。
さて、どちらなのでしょうか? 誰か教えてください。


待つこと5分。やっと「串カツ」が登場。
これが、串カツだ!!


ソースをたっぷりつけて食べる


壁にはこんなただし書きが


ソースがほのかに甘くて、とても旨い。
地元のカメラマンの提案で、串カツの梯子をする。
2件目の串カツ屋は、ソースの味が微妙に違う。
最初に入った「壱番」のソースの方が、複雑な旨味があった。
きっと、串カツの味は「ソース」の味で決まるのだ。


どうやら、この街には「串カツ振興会」があるらしい(店員のTシャツの柄)。
しかし、この振興会には「だるま」が入っていない。微妙な勢力争いか・・・・

さすがに、2軒の店で串カツを食べると満腹になる。
2軒目を出て振り返ると、この通りは「串カツ屋」だらけ。