2009年2月28日土曜日

続々 脳梗塞


久しぶりの取材で、倉敷に行った。JR倉敷駅の北口前には倉敷チボリ公園がある。都市型テーマパークとして1997年に開園したこの公園は、デンマークのコペンハーゲンにある世界最古のテーマパークである「チボリ公園」をモデルにしている。園内にはデンマークやアンデルセンをイメージしたアトラクションや庭園、ショップ、レストラン、劇場などが点在していた。しかし、昨年末に閉園。小雨の中で撤去作業が行われていた。

 さて、脳梗塞の続きです。点滴治療が始まると、だんだんと右手の指が動くようになってきた。しかしまだ、箸や筆記具を持つことができず、左手を添えながらスプーンを握って食事をとることがやっとであった。

 右手の指が麻痺し、筆記用具も満足にもてなくなった時には、「これでは仕事にならない。引退だな」、「それも悪くはない」、と思った。しかし、指が少し動くようになると「大丈夫かもしれない」と再び仕事への復活を期待するようになった。

 治療2日目から、点滴の合間に、リハビリが始まった。最初は満足に物が掴めなかったが、3日目ぐらいから握力が少しずつもどり、なんとかボールペンが握れるようになった。しかし、右手だけではペンと指の位置を調整できない。左手を使って右手の定位置にペンを移動させて、文字を書くリハビリを行った。

 普通、右手の指だけを動かしてペンを動かすことができるが、それができないのである。親指と人差し指で小さなものを掴むのも、かなり難しかった。

 点滴治療は10日間続いた。その間にリハビリを行い、右手はほとんど元の状態に戻った。お箸で食事ができるようになり、ボールペンで文字が書けるようになった。主治医は最低2週間は点滴治療を行いたかったらしいが、我が侭を言って10日目に退院した。

 その後、右手の症状は改善し続け、今では全く不自由を感じることがない。ただ、軽いものを親指と人差し指で、あるいは人差し指と中指で挟むと、ポロッと落ちる。指から脳へのフィードバック刺激が弱いようだ。

 右手が改善しても、脳梗塞を起こした瞬間の感覚は残っている。そのため、あれ以来、お風呂に入れない。シャワーだけで過ごしている。

2009年2月23日月曜日

続脳梗塞 サインができない


 救急外来で診察後、頭部のCT撮影を行ったが、病巣は明らかにならなっかた。MRIで検査すれば、もう少し詳しく分かるが、ペースメーカーを入れているので、MRI検査はできない。

 その間、右手の症状には変化はなかった。麻痺が悪化する様子も、緩和していく様子もない。担当医は、所見からアテローム性脳梗塞と診断。緊急入院をして、点滴治療が始った。

 治療にあたり、同意のサインを求められた時、ペンがもてないことに気づいた。ペンを掴むことが全くできないのである。その時に思ったのは、「仕事ができない」ということではなく、「カードで買い物ができない」、ということだった。

 右手にペンを挟み、左手で抑えながらのサインは、まるで幼稚園児が書いたような筆跡だった。右手にはほとんど力が入らなかった。そのサインを見て担当医は「治療の指標になる」と一言。サインがきれいになれば、麻痺は改善したことになる。

 治療はラジカットとキサンボンの点滴である。前者は脳梗塞後の神経保護に効果があるといわれており、後者は脳梗塞の急性期に起こる血小板の凝集を抑制し、脳の血流量を増加させることで麻痺などの運動障害を改善する、といわれている。この治療を10日から2週間続ける、と担当医は言った。

 点滴治療が始って数時間後、右手の指が少し動くようになってきた、と感じた。これは、ある程度、改善するかも知れないと思い、さかんに指を動かしながら、眠りについた。

2009年2月22日日曜日

やっと、2009年がスタート


 約2ヶ月ぶりに、気力が戻ってきた。気力。そう、「生活する」という基本的な気力が、やっと、戻った。この2ヶ月間は、ほとんど、ベッドの中で過ごしたといっても過言ではない。

 仕事始めの1月5日、まず風邪にかかった。熱や咳はなかったが、節々が痛み、なにより気力が無くなった。何もする気にならず、約1週間、ひたすら眠っていた。その後、一旦は回復して仕事を始めたが、1月18日の夕方、脳梗塞を発症した。

 その日は、寒かった。夕方に家に帰ってから、お風呂に入った。私には珍しく、本を読みながらの長風呂だった。右手に異常を感じたのは、風呂から出て、バスタオルで身体を拭いている時だった。

 一瞬、目眩を感じ、次の瞬間、右手が無くなった。右手の肩から先の感覚が、突然、消えたのである。しかしよく見ると、右手はある。ダランと肩からぶら下がっていた。左手で右手をつかむと、その右手は他人の右手だった。左手には右手をつかんでいる感触があるのに、右手にはつかまれている感覚が全くないのである。とても不思議な感覚で、脳も混乱していた。

 瞬間、私の脳裏にひらめいたのは「心臓の血栓が脳に飛んだ!」とうことである。私は発作性心房細動があるので、血栓(血の固まり)ができやすい、そこでワーファリンという薬を飲んで血栓を防止しているのだが、右手の感覚が無くなった時には、「心原性脳塞栓」という病名が浮かんだ。

 しかし、次の瞬間、右手の感覚が突然戻った。その間、多分数十秒だと思う。感覚の戻った右手で、パソコンの検索窓に「一過性脳梗塞」と打ち込んだ。その時、右手は正常に動いた。検索で表示された一過性脳梗塞の症状は、まさに自分の症状だった。その段階で「これは脳塞栓ではないな。多分、一過性脳梗塞だから、次回の外来の時に症状を話して、脳梗塞の検査をしよう」と考えた。

 しかしそのうち、右手の指が痺れだし、力も入らなくなってきた。明らかに、脳梗塞の症状が進行していた。そこで、主治医の携帯に電話し、急いで病院に向かった。
 
 右手の感覚を失ったのは17時45分。病院に着いたのは18時30分。その段階で、右手の指は麻痺しており、動かすことも、物を掴むこともできなかった。麻痺は確実に進行していた。