2007年12月27日木曜日

2007年もあと5日



クリスマスも終わり。今年もあと5日。例年なら、もう休みに入っている時期だが、今年はまだまだ仕事が終わらない。でも、何となく気分は「のんびり」。だから、ますます原稿が進まない。

休日に読みたい本。
『奪われた記憶―記憶と忘却の旅』ジョナサン・コット著 求龍堂
『天才と分裂病』デイヴィット・ホロビン著 新潮社
『感情の起源―自立と連帯の緊張関係』ジョナサン・H・ターナー著 明石書店
『本当は不気味で怖ろしい自分探し』 春日武彦著 草思社
『能の見える風景』 多田富雄著 藤原書店
『トラや』 南木佳士著 文芸春秋

2007年12月26日水曜日

War on Terrorとパッチギ!LOVE&PEACE



休日に『出口のない海』と『男たちの大和』をDVDで見た。
前者の原作は横山秀夫の小説で、脚本は山田洋次と『うなぎ』(1997年)の冨川元文。監督は『半落ち』(2004年)の佐々部清。
後者の原作は第3回新田次郎文学賞を受賞した辺見じゅんの小説で、監督は『陸軍残虐物語』(1963年)でデビューした佐藤純彌。

共に特攻をテーマにして、戦争のむなしさを語る映画であるが、戦争のとらえ方は異なる。

『男たちの大和』は愛する人を救うために死んでいく男たちを英雄的に描くことで、彼らをそこまで追い詰めた太平洋戦争を無意味なものとして描く。

一方、『出口のない海』に登場する男たちは、愛する人との生活に未練を残し、死を恐れ、無駄死にする。ヒロイズムを徹底的に排除することで戦争そのものを否定する。

この2つの表現手法は、戦後の反戦映画の主流ともいえるが、今という時代に照射すると両者共にリアリティが全く感じられない。リアリティのある戦争映画とは、たとえば井筒和幸監督の『パッチギ! LOVE&PEACE』(2007年)であり、ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』(The Wind That Shakes the Barley;2006年)である。

『パッチギ! LOVE&PEACE』で、ヒロインの父親はひたすら戦争から逃げまくる。ひたすら戦争から逃げた男のことを「父は決して卑怯ではない。逃げてくれたから私が生まれることができた」と娘であるヒロインは評する。

愛する人のために戦争で死ぬことより、愛する人のために戦争から逃げて共に生き続ける方がリアリティがある。ましてや愛する者に未練をもちながら無駄死にすることは、何の共感も得られないのではないだろうか。

一方、アイルランド独立戦争とその後のアイルランド内戦を背景に、価値観の違いから対立することになる兄弟を描いた『麦の穂をゆらす風』は、今という時代を写す優れた戦争映画である。なぜなら、それまで仲の良かった兄弟が、共に独立戦争を戦った兄弟が、価値観の違いによって争うことになる、というジレンマこそ、現代社会における戦争の一面を的確に照射していると思えるからである。

第2次世界大戦とその後の朝鮮戦争やベトナム戦争、そして現在の「テロとの戦い」は、質的に全く異なる。

姜尚中と小森陽一の対談集『戦後日本は戦争をしてきた』(角川oneテーマ21)で小森が指摘するように、第一次世界大戦、第二次世界大戦は約4年間で終結したが、テロとの戦争は6年を超えてまだ続いており、イラクは泥沼状態で出口はみえず、アフガンの治安も悪化し続けている。

小森は言う「本来、テロを取り締まるのは警察で、テロリストは逮捕の対象である。しかしブッシュは、主権国家をテロリスト集団に見立て、国家間問題を国内問題であるかのように描き出し、警察の代わりに軍隊を動かしたわけです。逮捕が戦争に置き換えられたのです。そして多くの人々が「これがテロだ」という明確な考えを抜きにして、非常に幅広い意味で「テロ」という言葉を無責任に使ってしまうようになった」(同書;p22-23)。

そして、姜が言うように「対テロ戦争の一環としてのアフガニスタン戦争やイラク戦争には、相手に対する公式の宣戦布告がなされていません。その意味で「War」とはいえませんね」(同書;p53)。

これまでの戦争と全く異なる戦争に我々は直面し、戦争とはいえぬ戦争に自衛隊は参加している。そして、『麦の穂をゆらす風』に描かれた兄弟のように、イランやアフガンニスタンでは内戦が激しくなっている。

こうした時代において、我々はどうすればいいのか。
それは『パッチギ! LOVE&PEACE』が主張するように、逃げることしかできない。
ひたすら「主体的に逃げる」ことである。テロとの戦いに少しでも関わる事柄から積極的に逃げることである。少なくても「テロ」という言葉を無自覚に使わず、「テロに対する警戒」という言葉、その延長上にある「自己責任」や「普通の国」という言葉に騙されないことである。

2007年12月25日火曜日

東京慕情と希望の国のエクスダス



日曜日の朝は、近くの喫茶店でロイヤルミルクティーを飲みながら東京新聞に連載されている「東京慕情」を読むのが楽しみだったが、その連載も12月23日のNo.64で最終回となった。

最終回で著者は「そのころ(昭和30年代)人々の暮らしは貧しく、生きるために誰もが必死に汗を流し、時には涙を流した。それでも心にはささやかな希望があった。貧しさの向こうに豊かさへの夢が見えていたからである。子供はいつも群れ集い、広場では野球に熱中し、紙芝居の拍子木が鳴ると、おじさんをわっと取り囲んだものである。いたわり合い、信頼感、親や先生への感謝の思い・・・そんな言葉が日々の暮らしに当たり前のように生きていた時代であった。そんな時代がいつからねじ曲がり、日本はなぜ、ここまで荒廃したのか」と記す。

30年代と比べて、全ての面で日本が荒廃したとは思えないが、もし荒廃しているとすれば、その責任は30年代に「広場では野球に熱中していた」子どもたち、すなわち我々世代にあるといえる。我々と我々の兄貴分が「そんな社会」を作ってきたのである。そして、この記事を読んだ時に村上龍の『希望の国のエクソダス』を思い出した。

『希望の国のエクソダス』(2002;文芸春秋刊)は、中学生の一団が現代日本の中で反乱を起こし、北海道に新しい「希望の国」をつくる話である。反乱を起こした中学生の代表はこう演説する「生きていくために必要なものがとりあえずすべてそろっていて、それで希望だけがない、という国で、希望だけしかなかった頃とほとんど変わらない教育を受けている。・・・・・学校では、どういう人間になればいいのかがわからなくなるばかりで、勉強しろ、いい高校に、いい大学に、いい会社の、いい職業に、ってバカみたいにそればっかり。幼稚園、小学校、中学校と進むうちに、いい学校に行っても、いい会社に行っても、それほどいいことがあるわけじゃないってことがよほどのバカじゃない限り、わかってくるわけで、それじゃその他にどういう選択肢があるかということは一切誰も教えてくれない」

我々と先輩たちは、こんな社会をつくってきたのだ。我々は、自分の子供にさえ、将来への夢を語ることも、希望を示すこともできない。「東京慕情」の著者が何気なく書いているように、我々の子ども時代には「貧しさの向こうに豊かさへの夢が見えていた」。

しかし、夢に見た豊かな生活が実現すると、その先の物語を創ることをしなかった。豊かさはバブル時代に飽和点に達して崩壊する。その後、我々はそれまでの生活水準を維持することに必死になり、その後社会に出てきた若者たちを仲間に迎える余裕すら無くなった。

そのため、彼らはフリーターや契約社員にならざるを得なくなり、格差社会が出来上がる。その意味で、格差社会は我々世代が既得権益にしがみついた結果ともいえる。

若い人に希望も選択肢も与えられない社会を作ったのは、まさに、30年代に豊かな生活を夢見て、それを必死に実現した我々と先輩たちなのである。