2007年5月23日水曜日

懐かしさと美味しさの違い


大阪に行く時、飛行機にするか、新幹線にするか、迷うことが多い。しかし、結局は新幹線に決めることが多い。その理由は「駅弁」である。
旅行でも、出張でも、車窓から外を眺めながら食べる駅弁は格別である。食堂車で食事をするのも好きで、かつて新幹線に食堂車があった頃はよく利用していた。最近は、空弁も種類が増えて味もいいが、やはり駅弁にはかなわない。

今回の大阪出張では、崎陽軒の「シュウマイ弁当」を買った。
鎌倉育ちの私にとって、崎陽軒のシュウマイは、ヨコタカ(横浜の高島屋)の包み紙と同じようにハレのシンボルだった。崎陽軒のシュウマイは立派なご馳走で、醤油が入った陶器の瓢箪は立派な玩具だった。もちろん、45年以上も前の話で、まだ鎌倉に漁業と農業が残っており、別荘はあるがサラリーマンを対象とした分譲地など皆無の頃である。

当時の私は、鎌倉駅前にある喫茶店「扉」に行くのが楽しみだった。「扉」は鎌倉土産で知られる「ハトサブレー」を製造販売している店で、今でもレストラン「扉」として同じ場所で営業している。
ここで、ハンバーガーやホットドックを食べるのがご馳走で、私は特にホットドックが大好物だった。40歳になった頃、このハンバーガーやホットドックが昔の味のままで復活した。私と同じように、幼少時代を懐かしむ人たちが多いんだな、と思いながら、さっそく鎌倉まで食べに行った。懐かしい味であった。しかし美味しくはなかった。

崎陽軒のシュウマイ弁当を買うのは、懐かしさからだけではない。
確かに、弁当を開けたときに漂うシュウマイの香りは、幼少の時代のさまざまな思い出を想起させるが、それだけではない。
実に旨いのである。

このシュウマイ弁当が誕生したのは昭和29年のこと。
その後、彩り豊かで豪華な駅弁が増えるなかで、シュウマイ弁当は頑なに発売当時の素朴なイメージを53年間も守り続けているのである。

おかずの主役は、もちろんシュウマイ。中央に5つのシュウマイがドンと入っていて、その脇にカマボコ、竹の子の煮込み、マグロの照り焼き、そして数年前から卵焼きが加わった。その配置と色彩は、あまり美味しそうには見えないが、竹の子の煮付けとシュウマイを交互に食べると、実に旨いのである。

普通、シュウマイは蒸したてで、温かいから美味しい。しかし、このシュウマイ弁当に入っているシュウマイは、冷えていても十分旨いのである。その秘密は、豚肉やタマネギといった具にコクのあるホタテの貝柱を混ぜたところにある、と聞いたことがあるが、本当なのだろうか。

2007年5月20日日曜日

アライ・マサト氏のDrawingの世界



たまに、「この人には、僕に見えないものが見えている」、と感じる人に出会う時がある。特に、デザインや美術を仕事にしている人に多い。
イラストレーターのアライ・マサト氏もそんな一人だ。

彼は最近、『Line Drawing』という本を出版した。
サブタイトルは「右脳くんのドローイング」。
ドローイングについて彼は「簡単に言うと・・・消しゴムで修正できる鉛筆ではなく、細いペンを使い、対象をじっくり見て、ゆっくりと線画を描く。これをドローイングと呼んでいます」と記している(同書p.3)。

単なるドローイングではなく「右脳くん」という修飾語をつけている理由については、「例えば表紙のニンジンの絵ですが、これを野菜として(左脳的に)見るのではなく、複雑な形・滑らかな形・明るい部分・影の部分など、見たままの情報を用紙に写しとっていきます。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり描いていくと「右脳くん」が登場し、「頭で考える」のではなく「感じたまま表現」できるのです」・・・「そして、今までと違う何かがみえてきます」と記す(同書p.3)。

彼は本書で、作品を紹介するだけでなく、ドローイングの描き方を解説している。
むしろ、ドローイング技法を解説することが本書のテーマである。
私は彼の作品を20年ちかく楽しんできたが、描いているところをみたことはなかった。この本で、そのプロセスを初めて知った。

一般に、「頭で考えるな」、「感じたまま表現する」、「右脳を働かせて描く」といわれると、その技法は客観化・普遍化できないと思える。
しかし、彼は「右脳くんのドローイング」技法を、見事に客観的に解説しているのである。

つまり、極めて論理的で確かな技術の上に、彼の作品は成り立っているのである。
もちろん、技術だけではこの作品は生まれない。研ぎ澄まされた彼の左脳が処理した情報に右脳が命と時間を吹き込む。

そんな作品がアライ・マサト氏のドローイングであり、左脳で処理した情報を右脳がどう変換するかは、それぞれの感性に依存する。

例えば本書の中に、一枚の葉の上にのったセミの幼虫が、少しずつ影の濃淡や色調を変えて5カット描かれているページがある。
そのページで彼は「影を描くことの大切さ」を指摘し、「影の存在は大きい。影は影じゃなかった」と書いている(同書p.124-125)。

しかし、このページを開いた時、私は「早朝、刻々と日差しが変化する中で、幼虫が成虫に脱皮しようとしている姿だ。まさに生きている!」と感じた。
そこには、命の躍動と時間が見事に描かれている。

このページでアライ・マサト氏が言いたかったことは、影の濃淡や色調によって印象が異なること、である。しかし、結果的にこのページには幼虫の命と早朝の時間経過が表現されたのである。

このように本書を見ると、技法の解説箇所もすばらしい作品集になっている。
ブリキのおもちゃの描き方を解説したページからは、このおもちゃをじっと見つめている子供の興奮した眼差しさえ感じ、タンブラーからはリズムが聞こえてくる。

アライ・マサト氏の、「右脳くんのドローイング」は、眺める人の右脳を活性化させる。
私にも、彼に見えていたものが見えてくるかもしれない。

2007年5月19日土曜日

小腸を検査するカプセル内視鏡


先日、日本消化器内視鏡学会が東京で開催された。
その会場で見つけたのが、カプセル内視鏡である。

胃や大腸は胃カメラなどの内視鏡で検査することができるが、今まで、小腸を検査できる内視鏡はなかった。そのため、小腸に疾患があるか否かを直接確認することはできず、小腸からの出血は「原因不明の消化管出血」とされてきた。
しかし、カプセル内視鏡の登場で、小腸全域を直接観察できるようになる。

上の写真は、イスラエルに本社のあるギブン・イメージング製のカプセル内視鏡の実物大模型。長さ26ミリ、直径11ミリのカプセルに小型カメラや照明などを内蔵している。

このカプセルを飲み込むと、消化管の蠕動運動で移動しながら小腸内を撮影。
画像データはカプセル内のアンテナから送信され、胸と腹部につけた小型アンテナで受信して、腰に装着した専用装置に記録される。カプセルは便と共に排出される。

検査時間は約8時間で、検査中に病院にいる必要もなく、日常生活をしながら検査ができる。
胃カメラを飲み込む時のような苦痛はなく、もちろん喉の麻酔は必要ない。また、エックス線撮影の時に飲むバリウムなどの造影剤も必要ない。検査前に絶食するだけである。

このギブン・イメージング製のカプセル内視鏡は、4月に輸入販売承認を取得し(国内初)、5月末から販売を開始する予定である。
しかしまだ、保険診療では使えないため、当分の間、実費は患者の自己負担になる。

検査に特別な技術を必要としないため、欧米ではクリニックでもカプセル内視鏡が使われ、既に数十万人以上が検査を受けているといわれている。
日本のメーカーでは、オリンパスがカプセル内視鏡に力を入れている。

カプセル内視鏡は、主に原因不明の消化管出血の診断やCrohn病の診断として期待されているが、膨大な写真データを読む必要があるため、画像分析ソフトの開発が急務といわれている。
また、一部のマスコミで言われているように、胃カメラ(胃内視鏡)や大腸内視鏡の代わりとなるものではない。

■写真は一般的なカプセル剤との比較。

2007年5月15日火曜日

不足しているのは小児科医や産婦人科医だけではない




現在、小児科医や産婦人科医の不足がニュースになっているが、医局制度が変わるにつれて、特に地方の病院では、脳外科医の不足も問題となっている。

実際、私は仕事で地方の病院を取材する機会が多いが、医師の不足は非常に重要な問題となっている。 先日も友人の医者から悲鳴に近いメールが届いた。以下はその一部である(本人の許可を得て引用)。

・・・・・・・近隣の病院から消化器内科医が消え、3月初めより患者の受け入れがだんだん減って、当院に患者が集中するようになり、毎日の様に吐血、下血、黄疸、腸閉塞がきます。(先週は吐血の止血4名、下血2名、今日は吐血2名)。いったい医者はどこへ行ったのでしょうか。医者不足は小児科、産婦人科だけの問題ではありません・・・・・・・・・・・・・・・

彼が所属している病院は、地方の病院ではない。東京駅に電車で30分という都市にあるのだ。

本当に、医者は何処にいってしまったのだろうか。

■医師不足関連ニュース

自分の価値観と暮らしを愛するには


2007年5月14日。
今日、通称「国民投票法」が成立。
正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律」。
その名称に「国民投票」の文言はない。
また、衆院イラク復興支援特別委員会は、この7月末で期限が切れるイラク復興支援特別措置法を2年間延長する同法改正案を可決した。

時代は、確実に、一定の方向に向けて動き出している。

日曜日の新聞に興味深いコラムが掲載されていた。
そのコラムを要約すると、以下のようになる。
現憲法は国家を否定しているため、戦後、日本人は国民共同体としての国家をまともに論じてこなかった。だから「国家をつくる」、「国家を守る」という発想は生まれてこなかった。国民は政府に要求すべきは要求し、同時に国家にどう役立っていくか、担うべき責務は何かを考えるべきである。そこで、現憲法の第3章「国民の権利・義務」は一度破棄して最初から書き直すべきである。
国家というのは日本人の価値観の塊であり、日本人の価値観そのもを取り戻すことが憲法改正である。

つまり、現憲法で否定された「国家=日本人の価値観の塊」を取り戻すことが憲法改正である、と言う。
そして、十七条の憲法、五か条の御誓文、明治憲法に現された日本人の価値観こそ国家なのだ、と語る。

確かに、戦後生まれの私には「国家を守る」という発想は全くない。しかしその原因が、現憲法が国家を否定しているためだ、とは気がつかなかった。ましてや、国家が日本人の価値観の塊であるとは考えもしなかった。

私に「国家を守る」という発想がないのは、国家が国民を守ったことはなく、しばしば国民の人権を侵すからである。
そもそも国家という概念は、近代が生み出した幻想に過ぎないと考えている。
一方、「明治憲法に現された日本人の価値観こそ国家なのだ」と言われれば、明治憲法を否定している現憲法は、国家を否定していると言える。しかし、「明治憲法に現された【日本人】の価値観」という言い方はおかしい。正確には「明治憲法に現された【国家権力】の価値観」ではないだろうか。
そしてそれは、否定すべき価値観だと思っている。

「憲法とは国家権力に対する猜疑の大系である」と言ったのはトマス・ジェファソンである。
つまり、国家権力はしばしば人権を侵すので、それを疑いの眼をもってみる、その基準が憲法であり、だからこそ、第3章「国民の権利・義務」が重要になるのである。

そろそろ、自分の考え、意見、価値観、立場をはっきり主張しないと自分の暮らしさえ守れなくなりそうだ。
国を守るという価値観の元、公権力によって自分の暮らしと自分の価値観を失うことは、二度としてはならない。

2007年5月13日日曜日

自殺者の8割は周囲に相談していない



東京新聞(2007年2月12日夕刊)は、「自殺を図った人のうち約8割が「死にたい」と悩んでいることを周囲に相談していないことが、厚生労働省研究班の調査で分かった」と報道している。
そして、「(日本を)弱音をはける社会に変えなければ、根本的な解決にならない」という関係者のコメントを紹介していた。

日本の自殺者数は、年間約3万人で、男女比は7:3と圧倒的に男、それも中高年の男に多く、40~55歳の男性の死亡原因の第2位が自殺なのである(因みに第1位はがん)

リストラされたことを妻にも言えず、毎日定時に出社し、図書館や公園で時間をつぶし、定時に帰宅する。給料は友人やサラ金から借金して会社名義で自分に振り込む。しかしそんなことはいつまでも続かない。疲れ切った彼は、会社の隣のビルから飛び降りた。20年前のこと。私の知人の話である。

日本の男、特に中高年の男は、妻や家族に弱音を吐くことがなかなかできない。それでいて、妻のことを「お母さん」と呼び、生活のほとんどを依存している。生活のほとんどを依存しているからこそ、仕事についての弱音を吐けないのかもしれない。生活費を稼ぐことだけが自分の役割と考えているから、その唯一の役割がリストラなどで果たせなくなると、存在理由がなくなってしまうのかもしれない。とても悲しい話である。

だから、追い詰められた人が救いを求められる相談窓口が必要なのだと、識者は指摘する。
しかし、第三者に相談することができる人は、まだ救われる。本当に失望した人、自分に生きる価値がないと思いつめている人は、例え第三者に対してでも弱音を吐くことはできないのではないか。だから、誰にも相談せずに自死を選ぶのである。

つまり、相談窓口を増やすだけでなく、生きることの価値を多様化して、少なくても働いてお金を稼ぐことは生活の一部であり、「男の最も重要な役割ではない」ことを共有できる社会が必要なのではないだろうか。

また、夫が妻に素直に弱音を吐けるようになるには、妻が夫の弱音を受け止めることができなくてはならない。そのためには、生活費は夫に依存し、生活は妻に依存するという悪しき共依存をやめて、夫婦で生活そのものを共有する関係を創りだすことが大切だと思う。

今日は母の日である。妻に「お母さん、ありがとう」という夫も多いと思うが、それだけはやめた方がよい。妻は生活のパートナーであり、けっして「お母さん」ではないのだから。

2007年5月12日土曜日

再び、「情報を編集する」意味について考える


熊本の街では路面電車が活躍している。
かつて東京の街にも路面電車が走っていたが、増え続ける車の邪魔になるとして廃止された。
しかし、熊本の街を走る路面電車をみると、古いシステムが、最も新しいシステムに転換できる可能性を秘めていることを実感した。

さて、今日も「情報を編集する意味」について考えてみたい。
2007年4月6日。日本新聞協会は「いま、新聞に期待すること」と題したシンポジウムを開催。そこでの発言の一部が、2007年4月12日の日本経済新聞の朝刊に掲載されている。そこで、その一部を引用する。

まず、基調講演を行った堀田力氏(さわやか福祉財団理事長)は、新聞、テレビ、ネットの特徴を比較し、新聞の機能について「新聞が最も得意としているのはなにか。ニュースが報道される場合に、その起こった出来事が社会全体の流れの中でどういう位置づけにあり、どういう意味を持つかということを伝えられる点にある」と指摘している。そして、「もう1つの新聞の大きな役割は【パブリック(公)の形成】だ」と述べている。

新聞の機能について、シンポジウムに出席した岡部直明氏(日本経済新聞社専務執行役員主幹)は、「ニュースの価値をどう判断するかというところが新聞というメディアの最大の売り物だ。ある記事をどんな大きさで報じるかという判断は今の社会の状況を反映しているともいえる。すべての記事を並列に並べていては新聞にはならない。正しい価値判断に基づいて情報を編集するところが新聞社の機能だろう」と指摘し、新聞記事の最大の特徴は「正確さ」にあると、強調している。

新聞記事の正確さについて、平野啓一郎氏(作家;『ウェブ進化論』の著者である梅田望夫氏との対談集『ウェブ人間論』新潮社刊がある)は、「正確さということを求めれば、新聞は無色な情報を読者に提供してくれればそれで十分だという話になる。新聞社の意見や論説ではなく、情報さえ与えてくれば、あとはインターネットのブログを使って自分たちで意見を出し合いながら議論していくという考え方もありうるかもしれない」と発言している。

現在、インターネットで情報を収集する時、ほとんどの人が検索エンジンを使っている。この検索エンジンの代表がgoogleであるが、シンポジウムに出席したグーグル日本法人社長の村上憲郎氏は、「グーグルの検索結果は、入力したキーワードとの関連度の強さをコンピュータが判定し、結果表示の順位が決まる仕組みだ。これは情報の正しさとは無関係なので、極端にいえば検索結果のトップに表示された情報が【真っ赤なウソ】ということもある。そこがネットと新聞の情報の違うところだ」と述べている。

上記の平野氏の発言からは、平野氏が新聞に情報の編集を期待しているのか、期待していないのか、はっきりと分からない。この点が、シンポジウムの発言を活字化する限界で、それこそ記者の感性とリライト技術が問われる点である。発言を素直に解釈すると「インターネット上の議論を通して情報を編集できる可能性がある」と言っているようだが、文脈から解釈すると「正確性ではなく、情報の編集を新聞に期待している」と言っているのかもしれない。

ただし、日経新聞に掲載されたシンポジウムの要約から、新聞人は新聞の機能を「情報の編集」、「情報の意味づけ」にあると信じていることは間違いない。一方、平野氏や村上氏は、新聞のそうした機能は認めた上で、インターネットの中でも多くの人々の議論を経て情報が編集されていく可能性とその問題点を示唆しているのではないだろうか。

インターネットの中で情報がどのように編集されていくかを考えるうえで、非常に参考になるのが、【ブログの炎上】である。その点を明快に指摘しているのが、元ライブドア メディア事業部 執行役員上級副社長であった伊地知晋一氏の近著『ブログ炎上』ASCII刊である。伊地知氏は「炎上はネット的な市民運動の1つ」と位置づけ(同書p.147)ている。

つまり、インターネットの中での議論は、『荒しも』含めて、いずれ一定の方向に収斂していき、そこに意志が生じる可能性がある。
この意志こそが、堀田氏が新聞の大きな役割として期待している【パブリック(公)の形成】ではないだろうか。

もちろん、インターネットの中で生まれたパブリックが必ずしも正しい価値判断に基づいたものではないかもしれない。しかし、大手マスコミや一部のオピニオンリーダーが日本を戦争に巻き込んだ過去の事実を考えれば、たとえ間違ったパブリックでも、それが多くの人の議論の中で生まれたものなら、私たち一人ひとりの問題として受け止めることができ、主体的に修正することも可能である。

インターネット技術、特にブログのようなWEB2.0によって、大きな影響力を持った一部のオピニオンリーダや大手マスコミだけがパブリックを形成できる時代が終わろうとしている。
そんな気がしてならない。

情報を編集することの意味 新聞とブログ



5月11日。晴れ。今日から熊本へ。
風が強いため、離陸・着陸時に、飛行機はかなり揺れた。

私はジェットコースターは怖くて乗れないが、飛行機はいくら揺れても恐怖感を感じたことがない。むしろ心地良いくらいである。
この差は何処にあるのかと、考えたことがある。そして、1つの仮説を思いつき、その仮説を証明するためにジェットコースターに乗った。その結果、あんなに怖かったジェットコースターが全く怖くなく、快感をも感じた。
何をしたのか。「目を瞑っていた」のである。ジェットコースターが動き出してから止まるまで、ずっと目を閉じていた。
つまり、目の前の景色が猛スピードで変化することで、私は恐怖を感じていたのだ。
飛行機がいくら揺れても恐怖感を感じないのは、目の前の風景が全く変化しないからである。

羽田から熊本までは、約1時間40分。
その間に、『新聞社-破綻したビジネスモデル-』河内 孝著(新潮新書)を読んだ。
毎日新聞社の記者と経営者を経験した著者(1944年生まれ)は、新聞産業の経営モデルが大きく揺らいでいる原因の1つは、部数至上主義が生んだ極端な過当競争と編集工程を含めた生産や流通面での非合理性にあるという。そして、業界の再編成が必要であると説く。
本書は5章からなっているが、経営モデルの問題点の指摘とその再生に1~4章を割いている。

私がこの本を買ったのは、「インターネット時代における新聞の方向性」を模索する内容では、と思ったからである。しかし、その点について論じているのは、第4章の「新聞の再生はあるか」の一部と、第5章の「IT社会と新聞の未来」だけで、その内容もいたって抽象的であった。

新聞の機能について著者は、「新聞の機能とは何か、を突き詰めれば、プロの記者が記事を書き、対価を払ってそれを入手したいと思う読者がいるかどうかです。紙に印刷されているのか、ネットで見るのか、戸別配達されるのか、コンビニで買うのか、それらは二次的な問題にすぎない。社会的機能としての新聞の能力をもっと高めたいし、それに対する評価が下がっているなら、何とか復権させなくてはなりません」と記す(同書p.166)。

そして「新聞の復権」には、まず「経営体質を根本的に改革して業界の正常化を行い」(つまり、過当競争をやめて生産と流通の合理化を行う)、次に「ITの中に新聞機能が包含されるビジネスモデルへの転換を行う」ことが重要であると指摘する。

そして、「ITの中に新聞機能が包含されるビジネスモデル」とは、現在多くの新聞社が行っている「新聞社がITもやる」とは異なると記す(同書p.167)。

新聞機能について著者は「紙の新聞では、ニュース、読者が物事を判断するための解説や論説は、専門的な訓練を受けた人間によって選別され、編集されてきました。電子ペーパーという形であっても、一定のスペースに盛り込む以上、記事の価値によって、その大小や解説の有無が判断されます。その結果として一覧性という「見やすい」形に編集されるわけです」と記している(同書p.205)。

一方で著者はこうも指摘する「プロといっても所詮、記者は専門家の記者発表やレクチャーを聞いてリライトする職業。ならば情報発信元のウェブサイトやブログに直接アクセスすればいい、という考えがあっても不思議ではありません。すでにそのようにインターネットを活用している人も多いと思います」(同書p.206)。

そして、「日本で、世界でいま何が起きているのか。時代にどのような意味を持つのか。それが、自分の生活にどんな影響を与えるのか」という「知」への欲求。それに応える機能は、どう考えても、現在の新聞社あるいは通信社が持つシステムが最もふさわしいと思うのです。これからの新聞経営社は、その能力だけを残して、あとは全部捨てるぐらいの気持ちで、企業を再生すべきです」と記す(同書p.212)。

つまり、情報(ニュース)を選別し、その情報が時代や生活にどのような意味を持つかを解説し、1つの体系の中に編集するのが新聞の機能である、と著者は指摘する。

これは極めて正しいと思う。新聞や雑誌を作ることは、情報を一定の価値体系の中に編集することである。

しかし一方で、編集されていない情報を収集して、自分の価値体系の中で編集しようとしている人たちがいる。そして彼らが「情報発信元のウェブサイトやブログに直接アクセスすればいい」と考えているのである。このことも本書の著者は分かっている。

それでも著者は、一定の知識と見識を持ったプロが情報を編集すべきだ、と考えているのではないだろうか。

ここにこそ、「破綻したビジネスモデル」としての新聞社の実態があるのではないだろうか。
もはや私たちは、新聞社を「一定の知識と見識を持ったプロ集団」とは、考えていない。情報の選択基準も曖昧で風見鶏的雰囲気さえ感じる。
現在、情報の選択基準がかなりはっきりしているのは、日経新聞と赤旗、そして東京新聞だけである。

明日も「情報を編集することの意味」について、考えてみたい。

■写真は夜の熊本駅

2007年5月10日木曜日

生命を考えるやさしい眼差し

私の大好きな学者の1人が、生命誌研究館館長の中村桂子氏だ。
中村氏は『ゲノムが語る生命-新しい知の創出』(集英社新書)以来、暫く、読み物として楽しめる著作を出していなかったが、今年の3月20日に『「生きている」を見つめる医療-ゲノムで読む生命誌講座』(講談社現代新書)を出版。研究館のメンバーの1人山岸敦との共著。
久々に命を考えるやさしい眼差しに出会えた気分です。

2007年5月8日火曜日

臨床の知



5月7日 月曜日。晴れて蒸し暑い。

今日は取材で関西の脳外科専門病院を訪ねた。
高齢化に伴って、近年、心房細動(しんぼうさいどう)と呼ばれる不整脈に悩む人が増えている。
この不整脈が怖いのは、重篤な脳卒中の原因になるからだ。
心房細動が起こると、心臓は不規則に早く動く。すると、心臓の中に血液の塊(血栓)ができ、それが脳の血管を詰まらせるのである。
こうした脳卒中を正確には心原性脳塞栓と呼ぶ。あの有名な巨人軍の元監督を襲った病気でもある。 昨年、この心原性脳塞栓に対する新しい治療が始まった。脳の血管に詰まった血の塊を薬で溶かす治療である。そこで、その実際を聞きに関西の病院を訪れたのである。

この病院には常勤3人、非常勤2人の脳外科医がいて、24時間365日、いつでも救急患者を受け入れる体制をとっている。もちろん、入院ベットに空きが無く、医師たちが手術中の場合には、受け入れられないこともあるが、「1人でも多くの人を救いたい」というのがこの病院のモットーであるという。

一般に、病気の治療については、それぞれの学会が「治療ガイドライン」をだして、効果があることが証明されている治療方法を具体的に推奨している。
脳卒中についても病型ごとの治療方針がガイドラインで示されているが、この病院では、さらに一歩踏み込んだ強力な治療を行って成果を上げていた。
「学会のガイドラインに示された治療を行っても、良くならない患者さんがいます。そうした患者さんに対しては、私たちが出来得る最善の治療を行いたい」と若い脳外科医は言う。
時にそうした治療は、保険診療と認められないこともある。つまり、ただ働きになるが、「良くならない患者さんを前にして、座して待つわけにわいかない」と、脳外科医は言い切る。

以下は一般論で、取材とは全く関係ない。
例えば、治療ガイドライン通りに治療していれば、たとえ患者さんが亡くなっても、医師はやるべきことは十分に行ったとして、責任を問われることはない。一方、治療ガイドラインを超えた治療を行った場合、たとえそれが最適で必要な治療と信じて行っても、患者さんが亡くなると、医師は責任を問われることがある。だからこそ、治療前のインフォームドコンセントが重要になるが、医師の治療方法を的確に理解できる患者さんは、ほんのわずかであり、まして脳卒中などの重篤な病気で緊急入院した患者の意思など確認できない。そこで、家族の承諾を必要とするが、身内が生死の境をさまよっているときに、家族に冷静な判断を求めるのは難しい。
こうした修羅場の中で、刻々と変わる病状に瞬時に対応する的確な判断と経験に裏づけされた優れた技術が、救急医療の医師たちに求められる。

急性期の治療とは、こうしたものである。
つまり、教授たちが文献を基に作った「治療ガイドライン」と臨床現場におけるリアルワールドは、かなりかけ離れているのだ。そして、その間を埋める知恵を私たちはまだもっていない。
臨床の知は普遍化できないものなのだろうか。

■お勧めの一冊
救命センターからの手紙

2007年5月6日日曜日

5月6日 雨



今日は朝から冷たい雨が降っている。
ほとんど一日中原稿書き。
連休前に取材した消化器病学会の取材原稿。
青森で開催された消化器病学会では、宿泊場所が会場から離れた山の中だったので、個人タクシーの木村さんに毎日お世話になりました。
桜はまだ咲いていませんでしたが、快晴に恵まれ、まだ雪をかぶった八甲田山がきれいだった。