2007年6月10日日曜日

全く台詞のない映画 裸の島




先週、久しぶりに息子と2人で外食し、鉄板焼きを食べに行った。その時、井筒和幸監督の最新作『パッチギ LOVE&PEASE』の話になった。2005年に公開された『パッチギ 世界は愛で変えられる』は、劇場に観に行った。そこに描かれた時代とエピソードは、私自身の青春時代と重なった。パッチギは1960年代後半の京都が舞台だが、当時、私は韓国のソウルで2週間過ごした。高校3年になる直前の春休みのことで、それ以来、何回となくソウルを訪れ、大学では朝鮮思想史を学んだ。京都とソウル、舞台は異なっているが当時の日本人と韓国人(朝鮮人)の間にはパッチギで描かれたような空気が流れていた。そこで、さっそくDVDを買ってきて息子と見た記憶がある。今回、彼が観た『パッチギ LOVE&PEASE』は、いわばパッチギ-2にあたる。私はまだ観ていなかったので、感想を聞くと、彼は「最初のパッチギのほうが良かった」という。理由を聞くと「1は映画そのものに主張があるけど、2は主張を登場人物の言葉で語らせている」、という意味のことを言った。つまり、『映画は映像で何かを表現する』ものであり、台詞で表現するのは稚拙な手法である、というのだ。なかなか鋭い批評だと感心した時、私は印象深い映画のことを思い出していた。

『映画は映像を以て語らしめよ』という信念をもっていた映画監督の新藤兼人は、一言も台詞のない映画をつくっている。モスクワ映画祭のグランプリを初めとして数々の国際的な映画賞を受賞した『裸の島』である。私がこの映画を初めて観たのは、今から20年ほど前のことである。たまたま千駄ヶ谷駅の片隅でビデオの安売りを行っていた。確か、3本で1000円だった。そのうちの1本が『裸の島』であった。

舞台は瀬戸内海の孤島。周囲約600mぐらいの小さな島に夫婦と2人の子供が生活している。夫婦は小作農として孤島の急斜面を耕し、そこで夏はサツマイモ、冬は小麦を栽培している。孤島には水がないため、近くの大きな島から、肥桶に水を入れて伝馬船で運ぶ。島に着いた夫婦は、肥桶を天秤棒で担ぎ、急斜面を登って畑に水をまく。夫婦はこの過酷で単純な労働を1日に何回も繰り返す。映画はその様を丹念に映していく。登場人物は全くしゃべらない。つまり台詞は全くなく、笑い声と自然の音、そして林光の音楽だけがある。

当時の私は、この映画の背景を全く知らなかったが、不思議に感動して、その後も何回か観た。何回目かに観たとき、あることに気がついた。それは、真夏の炎天下に畑の作物に水をやることはありえないという事実だ。真夏、植物に水をやるのは早朝か夕方に限られる。作物とて同じであり、農家出身の新藤兼人が知らないわけがない。しかし、映画では乾ききった土に水を注ぎ、注がれた水はたちまち畑に吸い込まれていく。その様が繰り返し描かれる。水を運ぶ時にしなる天秤棒が労働を象徴しているなら、乾いた土地に水を繰り返し注ぐ様は何を象徴しているのだろうか。ずっと考えていた。

すると最近、日経新聞のコラム(5.27;2007朝刊)に監督自らが、「乾いた土に水を注ぐ。たちまち土は水を吸い込む。果てしなく水を注ぐ。乾いた土とは私たちの心である。心に水をかけるのだ。水はわたしたちの心の水である」、と書いていた。当時の新藤兼人は映画『第五福竜丸』の興行的失敗から、独立プロの解散を覚悟していた時期で、商業主義でない独立プロ最後の作品として撮ったのがこの『裸の島』だったのである。

そうした状況を考えると、「心に水をかけるのだ。水はわたしたちの心の水である」という言葉の意味が少しは理解できる。しかし、こうした背景を考慮しなくても、撮影陣の事情など何も知らなくても、この映画は観る人の、その時々の気持ちに、そっと寄り添う力をもっている。
しなる天秤棒が過酷な労働を象徴し、夫婦の過酷な労働が貧しい小作農を象徴していたとしても、決して「貧しさや辛さ」を語る映画ではない。
ましてや人生に対する教訓を語る映画でもない。ただ、一遍のポエムのように観る人の乾いた心を潤すのである。

裸の島』の詳細はhttp://www.sadanari.com/eiga980705_14.html

1 件のコメント:

jingil さんのコメント...

何人かいる在日の友達たちは皆、「パッチギ」良かったね~~。と言っていました。私もまだ2は観ていませんが、息子さんのコメント、なんとなく想像がつきます。1でもお葬式のシーンなど、ちょっとしゃべらせ過ぎの印象は否めませんでした。井筒監督の傾向かもしれませんね。
 最近は在日コリアンの状況もずいぶん変わりました。韓国籍3、4世の子たちが朝鮮学校の同じ世代の子たちと友達になり、韓国籍の親たちが一緒に朝鮮学校の行事に参加したりすることもあるらしいです。昔を知るものにとっては隔世の感がある話です。