2009年4月20日月曜日
苔玉
散歩をしていたら、盆栽ショップの軒先に小さな苔玉が沢山並んでいた。さっそく、2つ購入。連休から梅雨時までは、苔が一番きれいな季節。特に、淡い朝日が斜めにさす瞬間、早朝の光の中で露に光る苔が、最もきれいだ。でも、この美しい緑を維持することは極めて難しい。気温と湿度の管理、適当な風と半日陰。夏になるといつも元気がなくなり、秋になると茶色く変色してしまう。
2009年4月6日月曜日
酒宴の跡の残酷な景色
2009年4月5日日曜日
薬は不思議
▲早朝から花見の準備
薬は不思議だ。
かなり強い抗不整脈薬を2種類服用していたが、ここ数ヶ月間、頻脈発作(150回/分)が続いていた。服用していた抗不整脈薬には、間質性肺炎を起こすという副作用がある。先月末、呼吸状態が少し気になったので、間質性肺炎を疑って胸部CT検査をしてもらった。
結果は、肺の辺縁にモヤモヤがみえるが、間質性肺炎ではないだろう、という診断だった。しかし、呼吸状態に違和感があったので、「頻脈発作が止まらないなら、しばらく抗不整脈の服用を止めて、呼吸の状態をみよう」と自分勝手に考え、主治医には内緒で服薬を中止した。
それから3日後、ちょうど薬の効果が完全に消える頃、突然、頻脈発作は止まった。それから、約1週間経つが、不整脈も無く、心拍数は安定している。
もちろん、抗不整脈は服用していない。
2009年4月4日土曜日
再び、北朝鮮のミサイル騒動について
4月4日 10:24 【平壌4日共同】北朝鮮の朝鮮中央通信は4日、人工衛星の打ち上げ準備が完了し、衛星が間もなく打ち上げられると報道した。
私は東京新聞を愛読している。理由は、その報道・編集姿勢に共感しているからだ。北朝鮮のミサイル報道でも、東京新聞は他のマスコミと一味違う記事を掲載している。それは、4月4日の朝刊に掲載された石丸次郎氏(アジアプレス)のインタビュー記事だ。
石丸氏は、「北朝鮮はどこかにミサイルを撃ち込もうとしているのではない。世界の、特に米国の関心を引こうとパフォーマンスをしている。それに日本政府が過剰反応している。金正日総書記はほくそ笑んでいるだろう」と指摘、日本政府の対応と過剰報道については、「それにしても、悪乗りし過ぎではないか」と述べている。
さらに続けて「ミサイル発射は国連決議に抵触するし、自国上空の通過に抵抗を感じることは理解できる。だが、北朝鮮の挑発的な言動に対する反応はあまりにも過剰だ」
「有効性に疑問のあるMDの宣伝や、選挙を意識した政治的意図があるのでは、と思わざるをえない」
「弱体化が進む北朝鮮軍の実態や、戦争どころではない経済の困窮ぶりを伝えるべきなのに、北朝鮮の脅威をあおるような報道は、国民をミスリードする危険性があり、罪深い」、と論評する。
そして、「北朝鮮に問題が多いのは事実。大切なのは、その隣国とどう向き合うのかというビジョンだ。」と語っていた。まさに正論である。
2009年4月2日木曜日
React Hysterically
最近のマスコミ報道、特にニュース・ショー番組の姿勢には目に余るものがある。それは、必要以上に危機感を煽っていることである。経済危機もそうだし、極めつけは北朝鮮のミサイル騒動だ。
今回の経済危機には「100年に1度」という枕詞がよく使われている。確かに、この不況はかなり深刻であることは事実だ。しかし「100年に1度」という言葉を頻繁に使うことで、政治責任や経営責任を回避できる雰囲気が生じていることに、マスコミは気づいていないのであろうか。
膨大な資産を有する大手企業が、率先して安易に人件費を削れるのは、「100年に1度」の経済危機だからだ。今回の不況については、あたかも、誰も予想ができなかったような論調が目立つ。果たして、そうなのであろうか。主に米国の低所得者の借金が日本経済を支えていたことを、そして、いずれその構造が限界を迎えることを、彼らが気がつかないはずがない。彼らは待っていたのである。皆に見える形で世界経済が崩壊することを。それが、Lehman Brothersの破綻であった。世界規模で経済が崩壊していく姿が皆に見えたとき、政治家や経営者の責任は霧の彼方に隠れ去ることを、彼らは知っていたのである。
北朝鮮は「人工衛星打ち上げのロケット」を発射すると発表した。しかし、多くの政府はロケットではなく弾道ミサイルの可能性が非常に高いと判断している。確かに、その可能性はある。しかし、ミサイルの着弾の可能性に備え迎撃態勢をしいた日本政府の対応や、連日ミサイルの脅威を煽るマスコミ報道は、極めてヒステリックである。
Reutersは「北朝鮮が打ち上げるのは弾頭ではなく人工衛星の可能性が高い=複数の米国防総省高官」という記事を4月2日に配信している。→参照
だが、このニュースを知っている日本人は少ないのではないか。
人間は、進化の過程で言葉と手の自由を獲得した。言葉は凍りついた心を癒す力を持っていると共に、人を死の淵に追いやる力も持っている。自由になった右手は、人を傷つけることもできるが、相手を抱きしめることもできる。
私たちは、言葉と右手で、労働者を物以下に扱う経営者と闘うことができる。北朝鮮に対しても言葉と右手で対応できる。どう対応するか、それは言うまでもないことだ。けんかを買うより、相手のメタ・メッセージを理解する姿勢の方が、大切ではないだろうか。
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