映画『パッチギ!』のプロデューサーである李鳳宇の著作『パッチギ!的』(岩波書店刊)を読んだ。その中に『パッチギ!』のテレビでの宣伝スポットにまつわるエピソードが載っていた。
宣伝スポットは、事前にテレビ局の考査を通す必要がある。その考査も無事通過し、後は流すだけの段階になって「あのスポットは流せない」という事態に遭遇する。その理由は、「もし結婚したら朝鮮人になれる?」というキョンジャが康介に問うセリフを、局の役員が問題にしたためだった。このスポットを流せば「ある勢力から確実に嫌がれせを受ける」とその役員は恐れたという。こうした自主規制は「イムジン河」を日本の音楽界から葬った姿勢と同じで、著者は「これはハッキリ言えば戦前の検閲に近い暴挙だし、一種の妨害だろう」と記している。
「もし結婚したら朝鮮人になれる?」。同じ言葉で問われたことがある。今から35年前。戒厳令下のソウルでのことだ。当時大学2年だった私は、ソウルの延世大学に短期留学していた。その時知り合った19歳の韓国人女性に恋をしていた。ちょうど『パッチギ!』が描いた、まさにあの時代。当時の日本人の韓国・朝鮮人に対する偏見と差別は、今とは比較にならないくらい大きかった。私が大学で朝鮮の思想史を勉強したい、と高校の教師に言うと、「朝鮮に固有の思想があるのか」と教師が問う時代だった。
「もし結婚したら朝鮮人になれる?」。彼女は「韓国人になれる」とは聞かなかった。彼女は国名は大韓民国だが私たちは朝鮮民族だ、とよく言っていた。つまり、単に国籍を問うていたのではなかった。その時、私は「朝鮮人になれるさ」とは答えられなかった。
李鳳宇は記す。「この映画は民族の壁を乗り越えて、愛情を育もうと訴えているし、強いて言えばこのセリフを聞かせ、それを観客にもち帰ってもらうための映画なんだ」と。
私は35年前に同じ言葉を聞いて、その言葉を日本にもち帰ったつもりだった。しかし、ずっと長いこと、忘れていた。そして、『パッチギ!』のラストで同じ言葉を聞いた時、当時の記憶を鮮明に思い出した。そして、自分に問うた「お前は、本当に彼女の言葉をもち帰ったのか?」と。
2 件のコメント:
いい話を聞かせてもらいました。さぞかし美人のお嬢さんだったのでしょうね。朝鮮系の人は美しい人がたくさんいますから・・・・。
古くは江戸時代の江戸にあった長屋連帯責任制度、近くは戦時下の隣組による防諜活動や反共運動。日本人の自粛行動には沈殿した連帯責任への恐怖の記憶が発端になっているような気がします。差別や異物排除などの能動的行動以前の思考停止、反射行動、パブロフの犬的なものではないでしょうか? 恐れるものにしか見えない投網に覆われた社会のように見えます。
その制限ネットの見えない人々こそが、日本に活力を与えているのが皮肉のようで、しかし日本社会の誇れる部分かとも思います。映画や歌手、スポーツ選手、作家、主にエンタテイメントの世界を1980年以降リードしている多くの朝鮮系日本人の存在がそれを表しています。
李鳳宇氏が「月はどっちに出ている」を韓国に売り込んだとき、韓国人バイヤーから「原作が梁(石日)、制作が李(鳳宇)で、監督が崔(洋一)って、これはいったい何映画なんだ?」と聞かれたと書いています。彼は「もちろん日本映画です」と答えたそうです。
「朝鮮人になれる?」という質問は「みんな一緒の事なかれ集団から勇気を持って飛び出して、価値観の冒険ができますか?」という質問のように私には響きます。
jilgilさん
「朝鮮人になれる?」という質問は「みんな一緒の事なかれ集団から勇気を持って飛び出して、価値観の冒険ができますか?」という質問のように私には響きます。・・・・なるほど。いい言葉です。
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