2007年12月25日火曜日

東京慕情と希望の国のエクスダス



日曜日の朝は、近くの喫茶店でロイヤルミルクティーを飲みながら東京新聞に連載されている「東京慕情」を読むのが楽しみだったが、その連載も12月23日のNo.64で最終回となった。

最終回で著者は「そのころ(昭和30年代)人々の暮らしは貧しく、生きるために誰もが必死に汗を流し、時には涙を流した。それでも心にはささやかな希望があった。貧しさの向こうに豊かさへの夢が見えていたからである。子供はいつも群れ集い、広場では野球に熱中し、紙芝居の拍子木が鳴ると、おじさんをわっと取り囲んだものである。いたわり合い、信頼感、親や先生への感謝の思い・・・そんな言葉が日々の暮らしに当たり前のように生きていた時代であった。そんな時代がいつからねじ曲がり、日本はなぜ、ここまで荒廃したのか」と記す。

30年代と比べて、全ての面で日本が荒廃したとは思えないが、もし荒廃しているとすれば、その責任は30年代に「広場では野球に熱中していた」子どもたち、すなわち我々世代にあるといえる。我々と我々の兄貴分が「そんな社会」を作ってきたのである。そして、この記事を読んだ時に村上龍の『希望の国のエクソダス』を思い出した。

『希望の国のエクソダス』(2002;文芸春秋刊)は、中学生の一団が現代日本の中で反乱を起こし、北海道に新しい「希望の国」をつくる話である。反乱を起こした中学生の代表はこう演説する「生きていくために必要なものがとりあえずすべてそろっていて、それで希望だけがない、という国で、希望だけしかなかった頃とほとんど変わらない教育を受けている。・・・・・学校では、どういう人間になればいいのかがわからなくなるばかりで、勉強しろ、いい高校に、いい大学に、いい会社の、いい職業に、ってバカみたいにそればっかり。幼稚園、小学校、中学校と進むうちに、いい学校に行っても、いい会社に行っても、それほどいいことがあるわけじゃないってことがよほどのバカじゃない限り、わかってくるわけで、それじゃその他にどういう選択肢があるかということは一切誰も教えてくれない」

我々と先輩たちは、こんな社会をつくってきたのだ。我々は、自分の子供にさえ、将来への夢を語ることも、希望を示すこともできない。「東京慕情」の著者が何気なく書いているように、我々の子ども時代には「貧しさの向こうに豊かさへの夢が見えていた」。

しかし、夢に見た豊かな生活が実現すると、その先の物語を創ることをしなかった。豊かさはバブル時代に飽和点に達して崩壊する。その後、我々はそれまでの生活水準を維持することに必死になり、その後社会に出てきた若者たちを仲間に迎える余裕すら無くなった。

そのため、彼らはフリーターや契約社員にならざるを得なくなり、格差社会が出来上がる。その意味で、格差社会は我々世代が既得権益にしがみついた結果ともいえる。

若い人に希望も選択肢も与えられない社会を作ったのは、まさに、30年代に豊かな生活を夢見て、それを必死に実現した我々と先輩たちなのである。

1 件のコメント:

jingil さんのコメント...

ちょっとだけ脳天気なことを書かせていただけるなら、この社会の精神的基盤を病ませているのは、近視眼的な効率至上主義が生み出し多様性の乏しさであると思います。コストのかかる国内農業、手工業などを無駄と見るか、社会の安全装置と見るかで将来展望は違って見えます。「望むならいろいろな生き方を選べる社会」を実現することが大切だと思います。

人口が減少していく中、一人の人が多くの役割を持つことで仕事のシェアができたり、自治に関与できるようにする。企業と均一労働者のみが構成する社会でなく、兼業社会。人と違う生き方を目指している人に、「自己責任」なんて貧乏くさい言葉を投げかけるのでなく、みんながサポートできるしくみを持った懐の広い社会。植林された杉や檜の均一な林でなく雑木林のような社会。そんな夢が描けたら、若い人々も少しは将来に光を見いだせるのではないかと夢想したりします。

いずれにしても「国際標準」「競争力」だとか「自己責任」などという経済至上主義者が作り出した呪文に惑わされないことで次の展開が見えてくるのではないでしょうか。