2008年4月9日水曜日

プラハの春 ラサの春


▲プラハのお土産。木の笛と独楽。

娘がプラハ&ウィーンの旅から帰ってきた。
プラハというと思いだすのが、春江一也著『プラハの春』(集英社文庫)。

1968年の春。チェコスロバキアは、国民の自由化運動に応えるように、新任のドプチェク党第一書記のもとで自由化政策がとられていた。しかし、8月20日の深夜にソ連率いるワルシャワ条約機構軍が侵攻し、チェコスロバキア全土は占領下におかれ、自由化運動=プラハの春は終焉する。
本書は、当時のプラハを舞台に、民主化を求める活動家カテリーナと外務省職員堀江亮介の恋を描いている。

プラハの春から40年経た今年の3月。
中国チベット自治区の首都ラサで大規模な抵抗運動が起きた。
中国人民解放軍がラサに進駐してチベットを併合したのは1950年のことである。
その後、チベットの人々は自由と独立を求めて大規模な抵抗運動を何回か起こしている。
最初はダライ・ラマが追放された1959年の3月。それから30年後の1989年の3月にも大規模な抵抗運動が起こっている。その結果、これまでに100万人を超える犠牲者がでていると言われている。

中国はなぜ、強硬手段でチベットを統治しようとするのか。
それは、チベットに眠っている豊富な地下資源にあると、今日の「NB online」が伝えている。

1968年春のプラハと2008年春のラサ。
人々が求める自由と独立は、いずれ実現することを歴史が語っているが、その実現には多くの犠牲を伴う。
ラサでは今、プラハの春の悲劇が繰り返されている。

娘がウィーンで買ったチョコレート。
オーストリアでは、Mozartもチョコレートのなっていた。

1 件のコメント:

jingil さんのコメント...

中学や高校の世界史副読本に「歴史世界地図」というのが必ずありましたね。私は数学の時間にそれを見ながらヒマつぶしをしました。夏、殷、周、秦、漢・・・唐、宋、元、明、清、大陸の塗り分けが時代によって劇的に変化しているのを追いかけていくのが楽しかったのです。現在の中国もその延長線上にあるのですから、今の国境分けが未来永劫続くものではないでしょう。このような悲劇は、華人のアジア支配への強い潜在的欲望と大陸の民との衝突であり、宿命のようにも思えます。

中国がチベットを厳しい態度で弾圧するのは別の国内的理由も存在します。中国にはチベットより大きな反中華の動きが内在します。新彊ウイグル自治区のチュルク(トルコ系民族)とトルコ、中央アジアのトルコ系民族による「大トルコ思想」です。チベットに甘い態度で臨めば「大トルコ思想」が始動する可能性があるのです。

音楽の都プラハはかつてはヨーロッパ文化の中心に位置していた街です。娘さんがうらやましいです、行ってみたいです。そのプラハとプラハの春を舞台にした文芸作品には『存在の耐えられない軽さ』もありますね。