2008年12月24日水曜日

負けるな



入院していると、さまざまな人が、さまざまな言葉で励ましてくれる。

「がんばれ」 「大丈夫だよ」 「休暇だと思って、ゆっくり治療に専念してください」 「無事を祈っている」・・・・・。
どの言葉もうれしいが、治療に対する不安があると、なかなか素直に受け取れない。

そして、「これ以上、どう、がんばるんだよ」 「十分、がんばっているよ」 「何を根拠に大丈夫なって言うの」 「休暇と入院治療は大違いだよ」 「検査だけでも、結構、辛いんだよ」・・・・と、心の中では叫んでいる。

そんな、捻くれた、頑なになった気持ちに、唯一、届いた言葉があった。
それは「負けるな」という一言。
この言葉を聴いた時、春の温かな日差しで氷がゆっくりとけるように、徐々に素直な気持ちになれた。

「がんばれ」と「負けるな」。何が違うのだろうか、と考えていた時、思い出した言葉がある。癌に対する抗がん剤治療についてたずねた時、ある医者はこう言った「無理してがんばることはありません。癌に負けなければいいのです」。

やはり、「がんばる」と「負けない」は、ニュアンスがだいぶ違うようだ。

2008年12月18日木曜日

コレラによる死者が1000人を超える:ジンバブエ



国連人道問題調整事務所(UNOCHA)は15日、アフリカ南部ジンバブエ国内でコレラによる死者が978人に上り、1000人の大台に近づいたと発表した、とCNNが伝えている。国連は今年8月から統計を取っており、感染疑い例はこれまでに1万8413人を記録したとしている。

また、国境なき医師団はジンバブエ・コレラ緊急治療プログラムへの協力を以下のように呼びかけている。

【以下、国境なき医師団からのメールの引用です】
ジンバブエで発生したコレラは現在、過去最大規模の流行がさらに拡大の一途を辿っており、首都ハラレを中心とした住民約140万人が感染の危険にさられるという事態に陥っています。

政情不安と経済崩壊に揺さぶられているジンバブエでは、生活条件の悪化で人びとは極めて不衛生な環境で暮らさざるを得ず、清潔な水の確保という基本的なことさえも困難となっています。そのため、国境なき医師団では、現地に治療センターを設置し、500人以上のスタッフが患者の治療と流行の拡大阻止にあたっています。

これまでに11,000人以上を診察し、ハラレでは12月4日現在、一日あたり350人の患者を収容しています。

コレラは、早い段階で治療を受けることができれば、簡単に治すことができます。しかし、迅速な治療が行われないと、重度の脱水症状を起こし、急速な死に至る病気です。人びとは、今すぐ、治療を必要としているのです。

国境なき医師団は、コレラ緊急治療プログラムに対する皆様からのご支援をお待ちしております。最も助けを必要としている人びとに手を差し伸べ、ひとりでも多くの命を救うために、皆様のご支援を心よりお願い致します。

国境なき医師団の活動の詳細は、こちらから

【寄付によりできることの例】
4,200円:コレラ患者1人を治療することができます。
10,000円:300人の人びとに清潔な飲み水を約1ヵ月間供給できます。

寄付はインターネットの他、下記のいずれの方法でもお受付けしています。

■郵便振替口座
口座番号:00190-6-566468
加入者名:特定非営利活動法人国境なき医師団日本
*通信欄に「コレラ支援」と明記ください。
国境なき医師団から送付された郵便振替用紙をお持ちの方は、口座番号「00150-3-880418」と記載されている振替用紙もご利用いただけます。
■電話での寄付
フリーダイヤル 0120-999-199(8:00~22:00 無休)
お電話での申し込みの場合、クレジットカードでの寄付になります。お申し込み時に、「コレラ支援」とご指定ください。
*ご寄付の使途指定をいただいた場合、該当の緊急支援活動に優先的に宛てられますが、指定されたご支援の総額が援助活動の予算を上回る場合は、他の緊急援助に充てられます。

2008年12月16日火曜日

桜庭一樹著 『私の男』



読み終わっても、作者が紡いだ物語が心の中に息づき、時間と共に膨らんで、わたしの物語として続いていく。そんな小説が好きである。桜庭一樹著『私の男』(2007年)は、まさにそんな小説である。

【私の男は、ぬすんだ傘をゆっくり広げながら、こっちに歩いてきた】 という一文で始まる『私の男』は、 【この手を、わたしは、ずっと離さないだろう】 で終わる。
男と女の物語ではない。父と娘の物語である。

『私の男』は直木賞を受賞しているが、その選考委員の一人である林真理子は、以下のように評している。

「私はこの作品をどうしても好きになれなかった・・・作者がおそらく意図的に読者に与えようとしている嫌悪感が私の場合ストレートに効いたということであろう・・・主人公の女性にも父親にもまるで心を寄せることが出来ない。・・・私には“わたし”と“私の男”が、禁断の快楽をわかち合う神話のような二人、とはどうしても思えず、ただの薄汚ない結婚詐欺の父娘にしか思えない」→参照

わたしも、この物語を「禁断の快楽をわかち合う神話のような二人」とは思わない。しかし、「ただの薄汚ない結婚詐欺の父娘」とは思えないし、「作者が意図的に嫌悪感を読者に与えようとしている」とも思わない。

この物語は、血のつながりがもつ両義性をみごとに描いている、とわたしは思う。そこには、共有できる「リアルな虚構」が存在する。幼き時に、求めても得られなかった血の温もりを求めあう二人を、凍てつく北の海と下町の湿った重い空気が包み込む。救いのない物語から、いかに再生するか。それは作者の創造力によるものではない。読者の想像力によるのである。

『私の男』は、かなり興味深い小説であり、もう一度じっくり読み返したい、と思える貴重な1冊だった。
そこで、桜庭一樹の『荒野』(2005~08年)と『ファミリーポートレート』(2008年)を続けて読んだが、どちらも、『私の男』との接点を見いだせなかった。『赤朽葉家の伝説』(2006年)は買ったが、まだ読んでいない。

もしかすると、桜庭一樹の作品の中で、『私の男』は、かなり異色の作品なのかもしれない。

2008年12月15日月曜日

アンボス・ムンドス Ambos Mundos ふたつの世界


退院後の休養期間に、それまで買っても読む暇のなかった本を全てベッドの横に積んで、毎日読んでいた。
そのうちの1冊が桐野夏生著『アンボス・ムンドス Ambos Mundos』(文春文庫)である。
桐野夏生は好きな作家の1人で、平凡なパート主婦たちを主人公に日本社会の危うさと暗部を描いた『OUT』(1997年)、無意識の底に潜む真実に気づかされる『柔らかな頬』(1999年)、東電OL殺人事件を彷彿とさせる『グロテスク』(2003年)、新潟少女監禁事件に触発されたと思われる『残虐記』(2004年)など、代表的なものはほとんど読んできた。このうち、直木賞を受賞した『柔らかな頬』以外は、社会派小説と呼べるものかもしれないが、単なる社会派小説ではなく、桐野夏生の物語の根底には「人間の心の奥に潜む闇」が淀んでいる。

『アンボス・ムンドス Ambos Mundos』(2005年)も、まさにそうした物語で、心の奥底にある闇を凝縮したような短編が7つ収録されている。これら7つの短編は、人の心の闇を読者に気付かせる、といったレベルではない。心の闇をえぐり出して、容赦なく読者に突き付けるのである。したがって、その読後感はかなり重い。そこで私は、1日に一つの物語しか読まなかった。

同じ頃、『東京島』(2008年)も読んだ。脱出不可能な小島に漂流したひとりの女と男たちという設定だが、そこには今日的都会生活そのものが描かれていた。ただし、ラストがあまりにも甘い。桐野夏生の小説は、読者を突き放すラストが魅力であり、突き放されるからこそ、読んだ後に様々な想いが浮かび、想像力を喚起する。そして、そこから読者だけの物語が始まる。しかし、『東京島』は読み終わった時に、物語を共有していた読者の物語も同時に終わってしまうのである。

ベッドの横には、まだ読んでいない桐野夏生の小説が2冊残っている。『メタボラ』(2007年)と『女神記』(2008年)である。前者は朝日新聞に連載された小説で格差社会におけるワーキングプアーを扱っているといわれている。後者は、最近発売された久しぶりの書き下ろし小説で、たぶん、『アンボス・ムンドス』の物語とつながるのではないかと、ひそかに期待している。

アンボス・ムンドス:Ambos Mundosとは、両方の世界、新旧二つの世界、という意味だそうだ。つまり、表裏、左右、男女、明暗、輝と闇、意識と無意識、聖と俗、のこと。

2008年12月11日木曜日

「私は貝になりたい」と「最後の戦犯」の視点の違い


先日、「私は貝になりたい」を見た。と、言っても現在公開中の映画ではない。1959年に公開されたフランキー堺主演の映画をDVDで見たのである。そして、今なぜ、中居正広主演でこの映画をリメイクする必要があるのか、不思議に思った。
多分、1959年にこの映画を見るのと、2008年にこの映画を見るのでは、物語の解釈がずいぶんと違うのではないか、と考えた。

そんな時、「最後の戦犯」というドラマを見た(NHK、12月7日、21:00)。ドラマの主人公である吉村修は、1945年8月10日に日本軍が米軍捕虜を処刑した「油山事件」に関与した見習士官である。吉村は上官の命令に背けず、捕虜を殺害する。そして戦争が終わると、GHQの追求を恐れた元上官の命令で逃亡する。しかし、1949年7月に逮捕され、最後の戦犯として横浜軍事法廷に立つ。
 
この「最後の戦犯」も「私は貝になりたい」と同様に、BC級戦犯を描いたドラマである。しかし、「私は貝になりたい」は、「絶対服従の軍隊において、上官の命令で捕虜を処刑したことが、なぜ戦犯になるのか」という視点のみが強調されているのに対して、「最後の戦犯」は、「命令とはいえ、捕虜を殺害したという事実に向き合おうとする主人公の葛藤」が描かれていた。

法廷の吉村は「捕虜の処刑には、自ら志願した」と主張する。上官の命令とはいえ、人を殺したことには変わりない、と吉村は思う。そして、自分の罪を受け入れるのである。
この視点こそが、まさに今日的ではないだろうか。