2008年12月15日月曜日

アンボス・ムンドス Ambos Mundos ふたつの世界


退院後の休養期間に、それまで買っても読む暇のなかった本を全てベッドの横に積んで、毎日読んでいた。
そのうちの1冊が桐野夏生著『アンボス・ムンドス Ambos Mundos』(文春文庫)である。
桐野夏生は好きな作家の1人で、平凡なパート主婦たちを主人公に日本社会の危うさと暗部を描いた『OUT』(1997年)、無意識の底に潜む真実に気づかされる『柔らかな頬』(1999年)、東電OL殺人事件を彷彿とさせる『グロテスク』(2003年)、新潟少女監禁事件に触発されたと思われる『残虐記』(2004年)など、代表的なものはほとんど読んできた。このうち、直木賞を受賞した『柔らかな頬』以外は、社会派小説と呼べるものかもしれないが、単なる社会派小説ではなく、桐野夏生の物語の根底には「人間の心の奥に潜む闇」が淀んでいる。

『アンボス・ムンドス Ambos Mundos』(2005年)も、まさにそうした物語で、心の奥底にある闇を凝縮したような短編が7つ収録されている。これら7つの短編は、人の心の闇を読者に気付かせる、といったレベルではない。心の闇をえぐり出して、容赦なく読者に突き付けるのである。したがって、その読後感はかなり重い。そこで私は、1日に一つの物語しか読まなかった。

同じ頃、『東京島』(2008年)も読んだ。脱出不可能な小島に漂流したひとりの女と男たちという設定だが、そこには今日的都会生活そのものが描かれていた。ただし、ラストがあまりにも甘い。桐野夏生の小説は、読者を突き放すラストが魅力であり、突き放されるからこそ、読んだ後に様々な想いが浮かび、想像力を喚起する。そして、そこから読者だけの物語が始まる。しかし、『東京島』は読み終わった時に、物語を共有していた読者の物語も同時に終わってしまうのである。

ベッドの横には、まだ読んでいない桐野夏生の小説が2冊残っている。『メタボラ』(2007年)と『女神記』(2008年)である。前者は朝日新聞に連載された小説で格差社会におけるワーキングプアーを扱っているといわれている。後者は、最近発売された久しぶりの書き下ろし小説で、たぶん、『アンボス・ムンドス』の物語とつながるのではないかと、ひそかに期待している。

アンボス・ムンドス:Ambos Mundosとは、両方の世界、新旧二つの世界、という意味だそうだ。つまり、表裏、左右、男女、明暗、輝と闇、意識と無意識、聖と俗、のこと。

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