2008年6月4日水曜日

ゾウはなぜ殺し屋になったのか



今日(2008年6月4日)、NHK教育テレビで放映された【地球ドラマチック ゾウはなぜ殺し屋になったのか】は、非常に興味深い内容だった。
ここに描かれていることは、単にゾウの社会だけのことではない。私たち人間の社会にも、全く同様なことが起こっている。唯一違う点は、ゾウは人間によって家族と社会を失ったが、人間は自らの手で家族と社会の絆を断とうとしている点だ。
そこで、その内容を番組のホームページから引用する。

■謎の事件-1
1992年、南アフリカ・ピラネスバーグ国立公園で見つかったサイの死体の傷は、サイ同士の争いでは絶対につかない、背中や首の後ろに集中していました。
サイよりも大きく力の強い生き物はゾウしかいません。死体のまわりにはゾウの丸い足跡も残されていたため、公園の担当者は近くにいたゾウを撃ち殺しました。すると、ぴたりと事件は収まりましたが、1年ほどのち、再びサイがゾウに殺され始めました。
サイを襲ったゾウは複数いて、すべてが若いオスでした。彼らは大人の年齢に達するよりもはるかに早い時期に性的に成熟してしまい、暴れていたのです。

■謎の事件-2
1996年、ケニアのアンボセリ国立公園では、マサイの人々の大切な牛がゾウによって殺される事件が次々に起きていました。マサイの人々は槍でゾウに反撃しましたが、ゾウの攻撃を止めることはできませんでした。

■謎の事件-3
2006年、ウガンダのとある村で、ある男性が畑から家に帰る途中で突然ゾウに襲われ、殺される事件が起きました。人間が何も攻撃していないのに、ゾウが襲ってくるのは珍しいことでした。

●3つの事件の真相・・・「人間の暴力」と「ゾウの心の傷」
ピラネスバーグ国立公園は1979年に作られました。そのとき、南アフリカ全土から野生動物が集められましたが、当時の運送技術では大人のゾウは運べなかったため、子ゾウだけが連れてこられました。邪魔になった母ゾウは子ゾウの目の前で撃ち殺されていたのです。
アンボセリ国立公園が1974年に作られたとき、古くからその土地に住んでいたマサイの人々は立ち退きを迫られました。彼らは不当な扱いに怒り、公園のシンボルだったゾウを殺して抗議していたのです。目の前で子どもを殺された母ゾウもいました。
ウガンダでは、1970年代、暴力と恐怖が渦巻いていました。アミン政権下で人間もたくさん殺されたこの時代に、ゾウもまた、肉や象牙を取るために大量に殺されていたのです。

感情豊かで、優れた記憶力を持っているといわれるゾウ。
何世代にもわたる家族が、一緒に暮らす動物です。
そんな家族の絆が人間の激しい暴力によって破壊されたとき、ゾウは健やかに成長するための環境を失い、心には大きな傷が残されました。
それが後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)となり、ゾウが暴れる原因となったと研究者たちは考えています。

●ゾウ社会の再生を目指して
ゾウ社会を立て直す試みが始まっています。
南アフリカでは、別の国立公園から大人のオスが連れてこられました。すると、暴れていた若いオスたちはすぐにおとなしくなりました。ゾウの社会には、やはりきちんとしたお手本が必要でした。
人間は、野生動物を管理しようとしてゾウを傷つけ、ゾウはその苦しみのために暴れていました。すべての原因は、私たち人間のふるまいにあったのです。

原題:Revengeful Elephants
制作:Tigress Productions /イギリス/2007年
2008年6月4日放送

1 件のコメント:

jingil さんのコメント...

衝撃的な話です。「象は知能が高いから心の傷も受けやすく、反応も劇的なのでしょう。」という考え方がでてきそうですが、実はそれはあまり好きではありません。知性の低いものは心の傷を受けないのか? 本当のところは人間にはわからないからです。