2008年6月10日火曜日

ソウルの街を埋め尽くすローソクの明かり


      ▲ソウル光化門の交差点を埋め尽くす民衆(朝鮮日報より)

韓国の「聯合ニュース」によると、韓昇洙首相をはじめ閣僚全員が一両日中に辞意表明する意向であることを、李明博大統領に伝えたという(10日午前)。米国産牛肉の輸入再開決定をめぐる国政混乱の責任をとるためだ。

現在、韓国では「狂牛病の危険性のある米国産牛肉輸入に反対する国民対策会議」が、全国で100万人の「ろうそく大行進」を行っており、今夜(10日)、ソウルでは約14万人がデモに参加しているといわれている。
6月10日は、1987年6月に韓国全土で起きた民主化運動「6・10民主抗争」の21周年記念集会も同時に行われる。

100万人デモという国民的運動のきっかけを作ったのは、1人の高校生だという。韓国の学生たちは、自分たちの意志を「はっきりと示す」ことの大切さを知っている。自分たちの意思をきちんと主張することが、政治を変え、将来を創りだす唯一の手段であることを知っている。そしてなによりも、みんなの力、連帯の力を信じている。

   ▲ソウルの街を埋め尽くすローソクの明かり 「聯合ニュース」より

隣国のこうした抗議集会をみる度に、私は「日本人は実に大人しい」と思う。問題は年金や後期高齢者医療制度だけではない。
税金の無駄使い、憲法を無視した自衛隊の海外派遣、労働者を追い詰める大企業優遇政策。
散々、好き勝手にやられ、最後は「自己責任」という無責任な言葉で放り出させる。

私たちは、なぜ怒らないのか。
いつまで大人しく、言いなりになっているのか。
もしかしたら、私たちは既にあきらめてしまったのか。
もしかしたら、私たちはみんなの力を信じていないのか。
あきらめたら、みんなの力を信じないのなら、私たちに将来はない。

1 件のコメント:

jingil さんのコメント...

人びとの反応の違いの根本にあるのは、国家との向き合い方だと思います。やはり、休戦ラインを持つ韓国は自分や家族が生き延びるために国家は必須の装置です。あくまで仮定の話ですが、日本人が日本国を韓国人と同じように捉えるならば、同じようにものをいうと思います。現実には日本人にとって国家という枠組みそのものが存在価値の怪しいものとなっているのではないかと考えています。

また、別の要素として日本人は集団的に不満に対して内向的です。「勝ち組、負け組」という価値観の蔓延する中、小林多喜二などのプロレタリア文学が流行始めているのだそうです。