2007年5月20日日曜日

アライ・マサト氏のDrawingの世界



たまに、「この人には、僕に見えないものが見えている」、と感じる人に出会う時がある。特に、デザインや美術を仕事にしている人に多い。
イラストレーターのアライ・マサト氏もそんな一人だ。

彼は最近、『Line Drawing』という本を出版した。
サブタイトルは「右脳くんのドローイング」。
ドローイングについて彼は「簡単に言うと・・・消しゴムで修正できる鉛筆ではなく、細いペンを使い、対象をじっくり見て、ゆっくりと線画を描く。これをドローイングと呼んでいます」と記している(同書p.3)。

単なるドローイングではなく「右脳くん」という修飾語をつけている理由については、「例えば表紙のニンジンの絵ですが、これを野菜として(左脳的に)見るのではなく、複雑な形・滑らかな形・明るい部分・影の部分など、見たままの情報を用紙に写しとっていきます。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり描いていくと「右脳くん」が登場し、「頭で考える」のではなく「感じたまま表現」できるのです」・・・「そして、今までと違う何かがみえてきます」と記す(同書p.3)。

彼は本書で、作品を紹介するだけでなく、ドローイングの描き方を解説している。
むしろ、ドローイング技法を解説することが本書のテーマである。
私は彼の作品を20年ちかく楽しんできたが、描いているところをみたことはなかった。この本で、そのプロセスを初めて知った。

一般に、「頭で考えるな」、「感じたまま表現する」、「右脳を働かせて描く」といわれると、その技法は客観化・普遍化できないと思える。
しかし、彼は「右脳くんのドローイング」技法を、見事に客観的に解説しているのである。

つまり、極めて論理的で確かな技術の上に、彼の作品は成り立っているのである。
もちろん、技術だけではこの作品は生まれない。研ぎ澄まされた彼の左脳が処理した情報に右脳が命と時間を吹き込む。

そんな作品がアライ・マサト氏のドローイングであり、左脳で処理した情報を右脳がどう変換するかは、それぞれの感性に依存する。

例えば本書の中に、一枚の葉の上にのったセミの幼虫が、少しずつ影の濃淡や色調を変えて5カット描かれているページがある。
そのページで彼は「影を描くことの大切さ」を指摘し、「影の存在は大きい。影は影じゃなかった」と書いている(同書p.124-125)。

しかし、このページを開いた時、私は「早朝、刻々と日差しが変化する中で、幼虫が成虫に脱皮しようとしている姿だ。まさに生きている!」と感じた。
そこには、命の躍動と時間が見事に描かれている。

このページでアライ・マサト氏が言いたかったことは、影の濃淡や色調によって印象が異なること、である。しかし、結果的にこのページには幼虫の命と早朝の時間経過が表現されたのである。

このように本書を見ると、技法の解説箇所もすばらしい作品集になっている。
ブリキのおもちゃの描き方を解説したページからは、このおもちゃをじっと見つめている子供の興奮した眼差しさえ感じ、タンブラーからはリズムが聞こえてくる。

アライ・マサト氏の、「右脳くんのドローイング」は、眺める人の右脳を活性化させる。
私にも、彼に見えていたものが見えてくるかもしれない。

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