2007年5月12日土曜日
再び、「情報を編集する」意味について考える
熊本の街では路面電車が活躍している。
かつて東京の街にも路面電車が走っていたが、増え続ける車の邪魔になるとして廃止された。
しかし、熊本の街を走る路面電車をみると、古いシステムが、最も新しいシステムに転換できる可能性を秘めていることを実感した。
さて、今日も「情報を編集する意味」について考えてみたい。
2007年4月6日。日本新聞協会は「いま、新聞に期待すること」と題したシンポジウムを開催。そこでの発言の一部が、2007年4月12日の日本経済新聞の朝刊に掲載されている。そこで、その一部を引用する。
まず、基調講演を行った堀田力氏(さわやか福祉財団理事長)は、新聞、テレビ、ネットの特徴を比較し、新聞の機能について「新聞が最も得意としているのはなにか。ニュースが報道される場合に、その起こった出来事が社会全体の流れの中でどういう位置づけにあり、どういう意味を持つかということを伝えられる点にある」と指摘している。そして、「もう1つの新聞の大きな役割は【パブリック(公)の形成】だ」と述べている。
新聞の機能について、シンポジウムに出席した岡部直明氏(日本経済新聞社専務執行役員主幹)は、「ニュースの価値をどう判断するかというところが新聞というメディアの最大の売り物だ。ある記事をどんな大きさで報じるかという判断は今の社会の状況を反映しているともいえる。すべての記事を並列に並べていては新聞にはならない。正しい価値判断に基づいて情報を編集するところが新聞社の機能だろう」と指摘し、新聞記事の最大の特徴は「正確さ」にあると、強調している。
新聞記事の正確さについて、平野啓一郎氏(作家;『ウェブ進化論』の著者である梅田望夫氏との対談集『ウェブ人間論』新潮社刊がある)は、「正確さということを求めれば、新聞は無色な情報を読者に提供してくれればそれで十分だという話になる。新聞社の意見や論説ではなく、情報さえ与えてくれば、あとはインターネットのブログを使って自分たちで意見を出し合いながら議論していくという考え方もありうるかもしれない」と発言している。
現在、インターネットで情報を収集する時、ほとんどの人が検索エンジンを使っている。この検索エンジンの代表がgoogleであるが、シンポジウムに出席したグーグル日本法人社長の村上憲郎氏は、「グーグルの検索結果は、入力したキーワードとの関連度の強さをコンピュータが判定し、結果表示の順位が決まる仕組みだ。これは情報の正しさとは無関係なので、極端にいえば検索結果のトップに表示された情報が【真っ赤なウソ】ということもある。そこがネットと新聞の情報の違うところだ」と述べている。
上記の平野氏の発言からは、平野氏が新聞に情報の編集を期待しているのか、期待していないのか、はっきりと分からない。この点が、シンポジウムの発言を活字化する限界で、それこそ記者の感性とリライト技術が問われる点である。発言を素直に解釈すると「インターネット上の議論を通して情報を編集できる可能性がある」と言っているようだが、文脈から解釈すると「正確性ではなく、情報の編集を新聞に期待している」と言っているのかもしれない。
ただし、日経新聞に掲載されたシンポジウムの要約から、新聞人は新聞の機能を「情報の編集」、「情報の意味づけ」にあると信じていることは間違いない。一方、平野氏や村上氏は、新聞のそうした機能は認めた上で、インターネットの中でも多くの人々の議論を経て情報が編集されていく可能性とその問題点を示唆しているのではないだろうか。
インターネットの中で情報がどのように編集されていくかを考えるうえで、非常に参考になるのが、【ブログの炎上】である。その点を明快に指摘しているのが、元ライブドア メディア事業部 執行役員上級副社長であった伊地知晋一氏の近著『ブログ炎上』ASCII刊である。伊地知氏は「炎上はネット的な市民運動の1つ」と位置づけ(同書p.147)ている。
つまり、インターネットの中での議論は、『荒しも』含めて、いずれ一定の方向に収斂していき、そこに意志が生じる可能性がある。
この意志こそが、堀田氏が新聞の大きな役割として期待している【パブリック(公)の形成】ではないだろうか。
もちろん、インターネットの中で生まれたパブリックが必ずしも正しい価値判断に基づいたものではないかもしれない。しかし、大手マスコミや一部のオピニオンリーダーが日本を戦争に巻き込んだ過去の事実を考えれば、たとえ間違ったパブリックでも、それが多くの人の議論の中で生まれたものなら、私たち一人ひとりの問題として受け止めることができ、主体的に修正することも可能である。
インターネット技術、特にブログのようなWEB2.0によって、大きな影響力を持った一部のオピニオンリーダや大手マスコミだけがパブリックを形成できる時代が終わろうとしている。
そんな気がしてならない。
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