2007年5月8日火曜日

臨床の知



5月7日 月曜日。晴れて蒸し暑い。

今日は取材で関西の脳外科専門病院を訪ねた。
高齢化に伴って、近年、心房細動(しんぼうさいどう)と呼ばれる不整脈に悩む人が増えている。
この不整脈が怖いのは、重篤な脳卒中の原因になるからだ。
心房細動が起こると、心臓は不規則に早く動く。すると、心臓の中に血液の塊(血栓)ができ、それが脳の血管を詰まらせるのである。
こうした脳卒中を正確には心原性脳塞栓と呼ぶ。あの有名な巨人軍の元監督を襲った病気でもある。 昨年、この心原性脳塞栓に対する新しい治療が始まった。脳の血管に詰まった血の塊を薬で溶かす治療である。そこで、その実際を聞きに関西の病院を訪れたのである。

この病院には常勤3人、非常勤2人の脳外科医がいて、24時間365日、いつでも救急患者を受け入れる体制をとっている。もちろん、入院ベットに空きが無く、医師たちが手術中の場合には、受け入れられないこともあるが、「1人でも多くの人を救いたい」というのがこの病院のモットーであるという。

一般に、病気の治療については、それぞれの学会が「治療ガイドライン」をだして、効果があることが証明されている治療方法を具体的に推奨している。
脳卒中についても病型ごとの治療方針がガイドラインで示されているが、この病院では、さらに一歩踏み込んだ強力な治療を行って成果を上げていた。
「学会のガイドラインに示された治療を行っても、良くならない患者さんがいます。そうした患者さんに対しては、私たちが出来得る最善の治療を行いたい」と若い脳外科医は言う。
時にそうした治療は、保険診療と認められないこともある。つまり、ただ働きになるが、「良くならない患者さんを前にして、座して待つわけにわいかない」と、脳外科医は言い切る。

以下は一般論で、取材とは全く関係ない。
例えば、治療ガイドライン通りに治療していれば、たとえ患者さんが亡くなっても、医師はやるべきことは十分に行ったとして、責任を問われることはない。一方、治療ガイドラインを超えた治療を行った場合、たとえそれが最適で必要な治療と信じて行っても、患者さんが亡くなると、医師は責任を問われることがある。だからこそ、治療前のインフォームドコンセントが重要になるが、医師の治療方法を的確に理解できる患者さんは、ほんのわずかであり、まして脳卒中などの重篤な病気で緊急入院した患者の意思など確認できない。そこで、家族の承諾を必要とするが、身内が生死の境をさまよっているときに、家族に冷静な判断を求めるのは難しい。
こうした修羅場の中で、刻々と変わる病状に瞬時に対応する的確な判断と経験に裏づけされた優れた技術が、救急医療の医師たちに求められる。

急性期の治療とは、こうしたものである。
つまり、教授たちが文献を基に作った「治療ガイドライン」と臨床現場におけるリアルワールドは、かなりかけ離れているのだ。そして、その間を埋める知恵を私たちはまだもっていない。
臨床の知は普遍化できないものなのだろうか。

■お勧めの一冊
救命センターからの手紙

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