2008年12月24日水曜日

負けるな



入院していると、さまざまな人が、さまざまな言葉で励ましてくれる。

「がんばれ」 「大丈夫だよ」 「休暇だと思って、ゆっくり治療に専念してください」 「無事を祈っている」・・・・・。
どの言葉もうれしいが、治療に対する不安があると、なかなか素直に受け取れない。

そして、「これ以上、どう、がんばるんだよ」 「十分、がんばっているよ」 「何を根拠に大丈夫なって言うの」 「休暇と入院治療は大違いだよ」 「検査だけでも、結構、辛いんだよ」・・・・と、心の中では叫んでいる。

そんな、捻くれた、頑なになった気持ちに、唯一、届いた言葉があった。
それは「負けるな」という一言。
この言葉を聴いた時、春の温かな日差しで氷がゆっくりとけるように、徐々に素直な気持ちになれた。

「がんばれ」と「負けるな」。何が違うのだろうか、と考えていた時、思い出した言葉がある。癌に対する抗がん剤治療についてたずねた時、ある医者はこう言った「無理してがんばることはありません。癌に負けなければいいのです」。

やはり、「がんばる」と「負けない」は、ニュアンスがだいぶ違うようだ。

2008年12月18日木曜日

コレラによる死者が1000人を超える:ジンバブエ



国連人道問題調整事務所(UNOCHA)は15日、アフリカ南部ジンバブエ国内でコレラによる死者が978人に上り、1000人の大台に近づいたと発表した、とCNNが伝えている。国連は今年8月から統計を取っており、感染疑い例はこれまでに1万8413人を記録したとしている。

また、国境なき医師団はジンバブエ・コレラ緊急治療プログラムへの協力を以下のように呼びかけている。

【以下、国境なき医師団からのメールの引用です】
ジンバブエで発生したコレラは現在、過去最大規模の流行がさらに拡大の一途を辿っており、首都ハラレを中心とした住民約140万人が感染の危険にさられるという事態に陥っています。

政情不安と経済崩壊に揺さぶられているジンバブエでは、生活条件の悪化で人びとは極めて不衛生な環境で暮らさざるを得ず、清潔な水の確保という基本的なことさえも困難となっています。そのため、国境なき医師団では、現地に治療センターを設置し、500人以上のスタッフが患者の治療と流行の拡大阻止にあたっています。

これまでに11,000人以上を診察し、ハラレでは12月4日現在、一日あたり350人の患者を収容しています。

コレラは、早い段階で治療を受けることができれば、簡単に治すことができます。しかし、迅速な治療が行われないと、重度の脱水症状を起こし、急速な死に至る病気です。人びとは、今すぐ、治療を必要としているのです。

国境なき医師団は、コレラ緊急治療プログラムに対する皆様からのご支援をお待ちしております。最も助けを必要としている人びとに手を差し伸べ、ひとりでも多くの命を救うために、皆様のご支援を心よりお願い致します。

国境なき医師団の活動の詳細は、こちらから

【寄付によりできることの例】
4,200円:コレラ患者1人を治療することができます。
10,000円:300人の人びとに清潔な飲み水を約1ヵ月間供給できます。

寄付はインターネットの他、下記のいずれの方法でもお受付けしています。

■郵便振替口座
口座番号:00190-6-566468
加入者名:特定非営利活動法人国境なき医師団日本
*通信欄に「コレラ支援」と明記ください。
国境なき医師団から送付された郵便振替用紙をお持ちの方は、口座番号「00150-3-880418」と記載されている振替用紙もご利用いただけます。
■電話での寄付
フリーダイヤル 0120-999-199(8:00~22:00 無休)
お電話での申し込みの場合、クレジットカードでの寄付になります。お申し込み時に、「コレラ支援」とご指定ください。
*ご寄付の使途指定をいただいた場合、該当の緊急支援活動に優先的に宛てられますが、指定されたご支援の総額が援助活動の予算を上回る場合は、他の緊急援助に充てられます。

2008年12月16日火曜日

桜庭一樹著 『私の男』



読み終わっても、作者が紡いだ物語が心の中に息づき、時間と共に膨らんで、わたしの物語として続いていく。そんな小説が好きである。桜庭一樹著『私の男』(2007年)は、まさにそんな小説である。

【私の男は、ぬすんだ傘をゆっくり広げながら、こっちに歩いてきた】 という一文で始まる『私の男』は、 【この手を、わたしは、ずっと離さないだろう】 で終わる。
男と女の物語ではない。父と娘の物語である。

『私の男』は直木賞を受賞しているが、その選考委員の一人である林真理子は、以下のように評している。

「私はこの作品をどうしても好きになれなかった・・・作者がおそらく意図的に読者に与えようとしている嫌悪感が私の場合ストレートに効いたということであろう・・・主人公の女性にも父親にもまるで心を寄せることが出来ない。・・・私には“わたし”と“私の男”が、禁断の快楽をわかち合う神話のような二人、とはどうしても思えず、ただの薄汚ない結婚詐欺の父娘にしか思えない」→参照

わたしも、この物語を「禁断の快楽をわかち合う神話のような二人」とは思わない。しかし、「ただの薄汚ない結婚詐欺の父娘」とは思えないし、「作者が意図的に嫌悪感を読者に与えようとしている」とも思わない。

この物語は、血のつながりがもつ両義性をみごとに描いている、とわたしは思う。そこには、共有できる「リアルな虚構」が存在する。幼き時に、求めても得られなかった血の温もりを求めあう二人を、凍てつく北の海と下町の湿った重い空気が包み込む。救いのない物語から、いかに再生するか。それは作者の創造力によるものではない。読者の想像力によるのである。

『私の男』は、かなり興味深い小説であり、もう一度じっくり読み返したい、と思える貴重な1冊だった。
そこで、桜庭一樹の『荒野』(2005~08年)と『ファミリーポートレート』(2008年)を続けて読んだが、どちらも、『私の男』との接点を見いだせなかった。『赤朽葉家の伝説』(2006年)は買ったが、まだ読んでいない。

もしかすると、桜庭一樹の作品の中で、『私の男』は、かなり異色の作品なのかもしれない。

2008年12月15日月曜日

アンボス・ムンドス Ambos Mundos ふたつの世界


退院後の休養期間に、それまで買っても読む暇のなかった本を全てベッドの横に積んで、毎日読んでいた。
そのうちの1冊が桐野夏生著『アンボス・ムンドス Ambos Mundos』(文春文庫)である。
桐野夏生は好きな作家の1人で、平凡なパート主婦たちを主人公に日本社会の危うさと暗部を描いた『OUT』(1997年)、無意識の底に潜む真実に気づかされる『柔らかな頬』(1999年)、東電OL殺人事件を彷彿とさせる『グロテスク』(2003年)、新潟少女監禁事件に触発されたと思われる『残虐記』(2004年)など、代表的なものはほとんど読んできた。このうち、直木賞を受賞した『柔らかな頬』以外は、社会派小説と呼べるものかもしれないが、単なる社会派小説ではなく、桐野夏生の物語の根底には「人間の心の奥に潜む闇」が淀んでいる。

『アンボス・ムンドス Ambos Mundos』(2005年)も、まさにそうした物語で、心の奥底にある闇を凝縮したような短編が7つ収録されている。これら7つの短編は、人の心の闇を読者に気付かせる、といったレベルではない。心の闇をえぐり出して、容赦なく読者に突き付けるのである。したがって、その読後感はかなり重い。そこで私は、1日に一つの物語しか読まなかった。

同じ頃、『東京島』(2008年)も読んだ。脱出不可能な小島に漂流したひとりの女と男たちという設定だが、そこには今日的都会生活そのものが描かれていた。ただし、ラストがあまりにも甘い。桐野夏生の小説は、読者を突き放すラストが魅力であり、突き放されるからこそ、読んだ後に様々な想いが浮かび、想像力を喚起する。そして、そこから読者だけの物語が始まる。しかし、『東京島』は読み終わった時に、物語を共有していた読者の物語も同時に終わってしまうのである。

ベッドの横には、まだ読んでいない桐野夏生の小説が2冊残っている。『メタボラ』(2007年)と『女神記』(2008年)である。前者は朝日新聞に連載された小説で格差社会におけるワーキングプアーを扱っているといわれている。後者は、最近発売された久しぶりの書き下ろし小説で、たぶん、『アンボス・ムンドス』の物語とつながるのではないかと、ひそかに期待している。

アンボス・ムンドス:Ambos Mundosとは、両方の世界、新旧二つの世界、という意味だそうだ。つまり、表裏、左右、男女、明暗、輝と闇、意識と無意識、聖と俗、のこと。

2008年12月11日木曜日

「私は貝になりたい」と「最後の戦犯」の視点の違い


先日、「私は貝になりたい」を見た。と、言っても現在公開中の映画ではない。1959年に公開されたフランキー堺主演の映画をDVDで見たのである。そして、今なぜ、中居正広主演でこの映画をリメイクする必要があるのか、不思議に思った。
多分、1959年にこの映画を見るのと、2008年にこの映画を見るのでは、物語の解釈がずいぶんと違うのではないか、と考えた。

そんな時、「最後の戦犯」というドラマを見た(NHK、12月7日、21:00)。ドラマの主人公である吉村修は、1945年8月10日に日本軍が米軍捕虜を処刑した「油山事件」に関与した見習士官である。吉村は上官の命令に背けず、捕虜を殺害する。そして戦争が終わると、GHQの追求を恐れた元上官の命令で逃亡する。しかし、1949年7月に逮捕され、最後の戦犯として横浜軍事法廷に立つ。
 
この「最後の戦犯」も「私は貝になりたい」と同様に、BC級戦犯を描いたドラマである。しかし、「私は貝になりたい」は、「絶対服従の軍隊において、上官の命令で捕虜を処刑したことが、なぜ戦犯になるのか」という視点のみが強調されているのに対して、「最後の戦犯」は、「命令とはいえ、捕虜を殺害したという事実に向き合おうとする主人公の葛藤」が描かれていた。

法廷の吉村は「捕虜の処刑には、自ら志願した」と主張する。上官の命令とはいえ、人を殺したことには変わりない、と吉村は思う。そして、自分の罪を受け入れるのである。
この視点こそが、まさに今日的ではないだろうか。

2008年11月24日月曜日

上室性頻脈の再発



退院から1週間。心配していた再発(上室性頻脈)が起こった。
近くまで買い物に行って帰ってきた時、突然、脈が速くなり160/分になった。

考えてみれば、今まで何回も頻脈発作に襲われ、そのまま2ヶ月以上、仕事を続けたこともある。その意味で、症状はしんどくないが、やはり、精神的ショックは大きかった。もちろん、今回のアブレーションで根治できたとは、全く考えていない。それでも、やはりショックだった。

だが、一晩寝ると、発作は治っていた。
静かになった心臓に右手を当て、心音を数えながら気がついたことがある。それは、アブレーションの後、ずっと続いていた不安が、きれいに消えている、ことであった。退院してから約1週間、再発が怖くて臆病になっていた自分に気づいた。だから、何日経っても、気力が回復しなかったのだろう。

そう気づくと、不安から一気に解放された。なにか、吹っ切れたようで、清々しかった。

今日も散歩から帰ると、また脈が速くなり不整脈も頻発したが、1時間ほど横になっていると、治まった。アブレーション前とは、何かが少しずつ変わってきたようだ。

金嬉老を覚えていますか



いま、金嬉老を覚えている人は、どれだけいるだろうか。
1968年2月20日、当時39歳だった在日朝鮮人二世の金嬉老(本名:権禧老)は、寸又峡温泉の旅館に宿泊中の13名を人質として篭城。警察官の在日朝鮮人に対する差別に対して謝罪を要求した。本田靖春著『私戦』の主人公である。

この金嬉老に関するドキュメント番組が、今夜の「報道発ドキュメンタリ宣言」(テレビ朝日)で放映される。

2008年11月20日木曜日

カンガルーと人間は共通の祖先をもつ



オーストラリアの研究チームが、カンガルーは遺伝子的に人間に近く、中国を起源とした可能性があるとの見方を示したことを、ロイターが伝えている。

オーストラリア政府の支援を受けてカンガルーの遺伝子を研究する同チームは、今回初めてカンガルーの遺伝情報を解読し、その多くは人間の遺伝子と似ていたとしている。

同研究チームのジェニー・グレーブス氏は、メルボルンで記者団に対し「いくつかの違いがあり、われわれの方が多かった、り少なかったりするが、同じ遺伝子があり、それらの多くは同じ配列だ」と述べた。そして、カンガルーと人類は、少なくとも1億5000万年前に共通の祖先から枝分かれしたという。

 同チームはまた、カンガルーの祖先は現在の中国で最初に誕生し、そこから現在のアメリカ大陸を通って、オーストラリアと南極に渡ったとしている。

2008年11月19日水曜日

LIFE誌の膨大な写真1000万点がネットで無料公開

LIFE誌の膨大な歴史的写真のコレクション(1750年以降)が、ネット上で無料公開され始めたことを「media pub」が伝えている。

約1000万点の写真のうち20%が現在公開されており、残りは数カ月以内に公開される予定だそうだ。全ての写真を拡大表示できるが、cut&pasteはできないようだ。

写真の探し方は簡単だ。Google image searchの検索窓にキーワードを打ち込み 「source:life」を追加するだけ。例えば,1860s US Civil War source:lifeとか1900s japan source:lifeのように。(media pubの記事から引用・改変)

2008年11月18日火曜日

生きてりゃいいさ



入院中は、普段考えないことを考えるようになる。特に、自分の人生について考える時間が増える。過去の人生ではなく、これからの人生だ。

これからの人生と言っても、残された時間はあまりない。たとえ健康でも、自立した生活ができるのは、あと15〜20年である。

生まれてから二十歳になるまでの20年間はゆっくりと時間が流れていたが、これからの20年間はあっという間であろう。
その間をどう生きるか。考えても答えの出ることではないが、「さまざま」考える。

考えている最中に、ふと気がついた。思いを巡らす「さまざま」なことは、いずれも、何らかの意味がある。どうして、人は自分の人生に意味を求めるのか。

そういえば、かつて「私は何のために生きているのか」考えたことがある。生きている意味がみつからずに悩んだこともある。
人生に、生きる意味が、なぜ必要なのだろうか。

そんな時に思い出したのが、河島英五の「生きてりゃいいさ」だった。

退院


        ▲写真は、退院前日の昼食。ちらし寿司。

16日の日曜日に退院した。朝から小雨で、久しぶりの街は肌寒かった。
いつもは病院の玄関前に、タクシーの列ができているのだが、日曜日とあって、タクシーは1台も止まっていなかった。大通りまで歩くと足の筋力の衰えを感じる。

わずか2週間という短い入院期間だったが、そのほとんどをベッドの上で過ごしていたため、筋力が見事に落ちていた。

筋力とともに低下したのが、気力だ。まだ、集中力も続かない。

しばらく、ゆっくり休むことにした。

2008年11月15日土曜日

副作用もなく、無事に終了



12日に心臓電気生理学的検査とアブレーションを行った。

朝の9時に麻酔をかけ、病室に戻ったのは20時。約11時間、麻酔で眠っていたことになるが、感覚としては15分ぐらいしか経っていないような感じだった。

この間のほとんどの時間が、不整脈の原因部位の特定(心臓電気生理学的検査)に費やされたが、当初の予想どおり、私の不整脈は非定形型だったようで、最後まで原因部位を特定できなかったようだ。しかし疑わしい箇所は何カ所かあったらしく、その部位を焼灼した。

しかし、頻脈発作を誘発しての処置のため、時間の経過と共に血圧が下がり、痰が多くなって血中の酸素量が減ったため、途中で中止したという。

この状態で、抗不整脈薬は使わずに、しばらく様子を見ることになった。
治療前の予想通り、原因部位を確実に焼灼する事はできなかったが、心臓電気生理学的検査で、自分の心臓の状態非常によく分かったし、次回のアブレーションに期待がつながった。
次回のアブレーションは、焼灼個所が安定する来年、ちょうど梅雨時に行いたいと考えている。
全く副作用もなく終了したことで、一安心である。

▲上の写真
当日、私の心臓には両鼠径部と首の計3カ所からカテーテルが挿入された。2次元のレントゲン写真を頼りに、心房という3次元空間をイメージしながら、このカテーテルを自在に動かして治療する技術は、改めて考えると、すごい技術を要するものである。


     ▼昨日の昼ご飯は、栗ご飯。

2008年11月11日火曜日

あす、アブレーション




明日、カテーテルアブレーションを行う。
朝の9時から夕方の5〜6時頃までかかるらしい。その大半は、不整脈の原因となる個所の特定に費やされる。

その間、私は麻酔で眠っているので苦痛は感じないが、麻酔が覚めてからが結構辛い。数時間、身体を動かすことがでないからだ。

明日の今頃には、結果はでている。果たして、不整脈の原因をきちんと治療できるか。約50%の確率、と私は思っている。強力にアブレーションを行うと、根治する可能性は高いかもしれないが、副作用の発生率も高くなる。そこで今日、担当医に「けっして無理しないでください。1回のアブレーションで根治するとは考えていませんから」と、伝えた。微笑んだ担当医は、かなり自信を持っているようだった。

▲写真は、私の左心房を上からみたところ(3次元CT画像)。
左右に出た枝のようなものが肺静脈。この肺静脈が心房に入り込んだあたりが、アブレーションのターゲットの1つだ

■カテーテルアブレーション(Catheter Ablation)とは、不整脈の原因となる異常な心臓の筋肉を取り除く治療で、不整脈を根治できる可能性をもった、唯一の治療法だ。
高周波と呼ばれる周波数300〜750KHzの電流でCatheterの先端を50〜60度に熱し、その熱によって異常な心臓の筋肉を焼き固める(Ablation)。

もう、冬ですね


入院中、最も不自由なのは煙草が自由に吸えないこと。喫煙室もないため、愛煙家は屋上で寒さに震えて煙草を吸っている。

何もせずに、寝たり、本を読んだりしている時は、煙草を吸わなくても平気だが、ベッドで原稿を書き出すと、途端に吸いたくなる。

PCで原稿を書いている時、私は左手で煙草を吸うので、文章の推敲に行き詰まると、左手の人差し指と中指がムズムズする。ニコンチン中毒というより、左手が煙草の感触をほしがっている、ようだ。

煙草を吸うために屋上にあがるたびに、きれいな苔に心が和む。
もう冬ですね。

時間だけは沢山ある



入院時には、普段なかなか読めない本を数冊持ってくることが習慣になっている。

今回選んだのは、ダニエル・T・マックス著「眠れない一族」(紀伊國屋書店刊)とジョナサン・H・ターナー著「感情の起源」(明石書店刊)の2冊である。

前者を選んだ理由は、ローリー・ギャレットの書評に「本書は、自身もまた奇妙な病を抱えているせいもあって、非常に研ぎ澄まされた目を持つ著者によって語られる、胸躍る物語だ。居心地の良い場所を見つけ、スケジュールを空け、さあ、読み始めよう」と書かれていたからだ。

病室は決して居心地の良い場所ではないが、沢山の時間がゆっくり流れていく。

     ▼今日の昼食

2008年11月10日月曜日

やっと、入院モードに


土曜日から、ヘパリンの24時間静注が始まった。
カテーテルアブレーションでは、心臓の中に入れたカテーテルの先端は50〜60度になる。この熱で、異常な心臓の筋肉を焼き固める(熱凝固)のだが、たまに血液を固めてしまうことがある。それが血栓で、この血栓が脳に飛ぶと脳梗塞になる。
そこで、血栓ができないように血液をサラサラにするのが、このヘパリンだ。
ヘパリンの静注が始まって、やっと入院モードになった。

    ▼今日の昼食はポークカレーだった。

2008年11月7日金曜日

入院の必需品 その1



病院食は、けっして不味くはない。むしろ、少ない予算で、患者個々の状態を考慮して、ほんとうに良く作っている、と関心することが多い。しかし、脂っこいものが大好きな私には、物足りない。
そこで登場するのが、マヨネーズである。魚に、肉に、全てのおかずにマヨネーズをつけている。時には、ご飯にマヨネーズをつけて食べることもある。
もう1つの必需品が、雪印の6Pチーズ。6時に夕飯を食べると、8時頃にお腹がすく。そんな時に重宝するのが、このチーズだ。チーズにもいろいろな種類があるが、なぜか入院中の夜食には6Pチーズが旨い。


    ▼昼食にでたシャケフライ。これにマヨネーズをかけると実に旨い。

2008年11月6日木曜日

最もつらい検査

昨日は、今回の入院期間中で最もつらい検査「経食道心臓超音波検査」を行った。
この検査は、胃カメラより一回り太い「超音波プローブ」を口から食道に入れ、食道内から心臓の裏側に向けて超音波を照射し、心房側から心臓を観察するもので、心臓が食道と接していることを利用した検査法である。

この「超音波プローブ」を飲み込む時、胃カメラを飲み込む時と同じような「オェー」という嘔吐反射が起こる。
これまでに2回行っているが、何回行っても慣れることはない。今回も、嘔吐反射を繰り返して、なかなか飲み込めず、涙がボロボロとこぼれた。その辛さは、胃カメラとは比較にならない。

この検査の目的は、心房内の血栓の有無や血流の状態を調べることである。もし、心房内に血栓があったり、血流が滞留していると、カテーテルアブレーションを行っている時に、血栓が脳に飛んで脳梗塞を起こす可能性がある。実際、昨日の夕方に主治医と話した時も、カテーテルアブレーションの副作用として、主治医が最も危惧していたのは脳梗塞であった。

2008年11月4日火曜日

再び入院

前回、入院して電気的除細動を受けたのは、8月の初め頃だった。
あれから約3ヶ月、再び入院した。
今回の入院は約2週間から3週間の予定。
左房のカテーテルアブレーションを行って、不正脈の原因となっている神経を高周波で焼き切るためだ。
入院初日の今日、さっそく、心臓の三次元CTを採った。数日後には、私の心臓の立体画像がみられる。
この三次元CTは、造影剤を腕の静脈から入れて撮影するのだが、造影剤が身体に入った瞬間に身体がカーッと熱くなる。
まず上半身が熱くなり、熱さは、胸からお腹、お尻、太ももへと伝わり、足先から抜けていった。
今まで味わったことのない、不思議な体験だった。

その後、血液検査、尿検査、心電図、胸と腹部の単純レントゲン撮影と検査が続き、その間に、入院手続きと入院中の説明が行われ、
あっという間に入院初日は終了した。
明日は朝から経食道心臓超音波検査を行うので、今夜の9時からは絶飲食だ。

2008年8月8日金曜日

日常生活への復帰



電気的除細動を受けて退院。何とか日常生活に復帰しました。
それにしても、毎日暑いですね。
また、ブログを開始します。

2008年7月12日土曜日

ネットが報道した『暴徒化する日本の警察官』

         ▼通信社のカメラマンを不当逮捕する警察官



日本のマスコミが報道しなかった、暴徒化する日本の警察の姿。
G8の警備では、日本の警察の暴力がネットで世界中に発信されている。

⇒車の窓ガラスを破壊する警察官
この映像は、ロイター通信も世界中に発信している⇒ロイター通信


通信社のプロカメラマンを不法に逮捕している警察官。⇒リアルな映像
この映像は、後半に登場する海外の女性記者によって、世界中に配信された。

2008年6月30日月曜日

iPodと心臓ペースメーカー


昨年、iPodなどのデジタル音楽プレーヤーが、心臓ペースメーカーに障害を与えるという研究結果が報道され、注目されていた。しかし、ボストン小児病院ペースメーカー部のCharles Berul部長らは、音楽プレーヤーはペースメーカーに障害を与えない、という研究結果をHeart Rhythm(2008,5:545-550)に発表したと、Medical Tribune(2008.6.26)が伝えている。以下、同紙からの引用リライトである。

Berul氏らは、心臓ペースメーカー(PM)または植込型除細動器(ICD)を使用している患者51例(6~60歳)を対象に、Apple社、SanDisk社、Microsoft社の音楽プレイヤーの影響を検討している。

方法は、音楽プレーヤーを直接PMあるいはICDの埋め込み部位の上において作動させ、その影響を調べている。その結果、障害はみられなかったと報告している。

また、同氏らは255例の患者を対象に、音楽プレーヤーの影響を心電図で検討しているが、心電図に変化はみられず、不整脈が起こった患者もいなかったという。

この結果について同氏らは、「心臓ペースメーカーを入れていても、安心して音楽プレーヤーを楽しむことができる」、とコメントしている。

一方、PMやICDをチェックあるいは再調整する機器(医師が使用するもの)との接続時には、音楽プレーヤーが干渉する場合があることが明らかになった。しかし、機器から15センチ離せば問題ないという。

また、今回のテスト時間は短いため、長時間にわたって音楽プレーヤーを使用する場合は、埋め込み部位から15センチ以上離して使用することが望ましい、と同氏らは指摘している。

いずれにしても、埋め込み部位に接触させないで使用すれば、まったく問題ないということである。

FishのWidget

最近、楽しいWidgetが沢山できてきた。この手のものは、役に立つものより、ホッとするもの、楽しいものの方が、結局、長く愛されるのではないだろうか。
Widget専用端末;Chumbyも、もうすぐ日本上陸。これは絶対買いだ。

⇒右にあるFishにえさをあげてください。

横山秀夫著 『クライマーズ・ハイ』



横山秀夫の著作のうち、1冊を選ぶとすると、私は躊躇なく『クライマーズ・ハイ』(2003年)を選ぶ。
『半落ち』、『深追い』、『第三の時効』、『真相』、『影踏み』、『看守眼』、『臨場』、『出口のない海』など、多くの横山作品を読んできたが、『クライマーズ・ハイ』こそが、横山秀夫の最高傑作である、と思っている。

クライマーズ・ハイとは、興奮状態が極限にまで達して恐怖感がマヒし、怖さを感じないことだ。例えば、垂直に切り立った岸壁を登っている時にクライマーズ・ハイになると、全く恐怖感を感じずに一心不乱に岸壁を攻められ、気がついた時には岸壁のカシラに立っていることがある、といわれる。しかし、クライマーズ・ハイが解け時が怖ろしい。抑圧されていた恐怖心が一気に噴き出す。もし、岸壁を攻めている途中で解けると、そこから1歩も動けなくなる。


新聞記者である主人公は、翌日から同僚と一緒に、谷川岳一ノ倉沢、衝立岩正面壁を登る予定だった。しかし、御巣鷹山に日航123便が墜落し、全権デスクを任された主人公は、新聞報道の最前線で情報の山と格闘することになる。同時に、彼とアンザイレン(ザイルパートナー)を結ぶ予定だった同僚が不審な事故で植物状態になる。

主人公は、日航123便の事故を報道するうちに、だんだんとクライマーズ・ハイになる。しかし、あと一歩で世界的スクープをものにできる、その瞬間に、クライマーズ・ハイが解けてしまう。

「旧式の電車はゴトンと1つ後方に揺り戻して止まった」、という1文で始まるこの小説は、衝立岩登山の物語でも、日航123便墜落事故の報道物語でもない。真のテーマは父親と息子の関係である。父親は息子と、どのような関係で生きていくのか、どのようなザイルパートナーが望ましいのか、それがこの小説のテーマである。
幼くして父を失った主人公は、父との関係を知らない。そのことはまた、息子とどのような関係で生きて行けばいいのか、分らないということでもある。「後方に揺り戻して止まった」電車から土合駅に降りた主人公の人生は、そこから始まるのか、そこで終わるのか。

この夏、『クライマーズ・ハイ』が映画になる。監督は原田眞人。この原作をどう描くか、楽しみである。

映画『クライマーズ・ハイ』公式サイト

2008年6月22日日曜日

『乱暴と待機』を読む


「他者と繋がりたい」という切実な思いがあるのに、その方法が分らない人たちがいる。
「人に嫌われたくない」という思いが強い故に、自らの心に背を向ける人たちがいる。

本谷有希子著『乱暴と待機』(メディアファクトリー刊)は、そんな男女が主人公だ。
「物事のあらゆる結果には必ず原因がある」という持論に執着する英則と、「人から嫌われることを極端に恐れる故に人を拒むことができない」奈々瀬は、奇妙な同棲生活を行っている。

英則は、今の自分が不幸になった原因は、「あの時」の奈々瀬の言動にあるはずだと考え、それに見合う復讐を毎日考え続ける。奈々瀬は、色気を感じさせないスェットとだて眼鏡姿で家にこもり、英則からの復讐を待ち続ける。復讐が2人の関係を繋ぐ。

奈々瀬は、幼馴染だった英則を「お兄ちゃん」と呼ぶ。そして、こう語る。
「私がお兄ちゃんとずっと一緒にいられる理由があるとすれば、もう嫌われることはない、という安心感によるものかもしれない。お兄ちゃんといると、あまり疲れないで済む自分に気づく。お兄ちゃんだけは私にがっかりしない。がっかりするにはまず期待しなくっちゃならないから。それに復讐相手として憎まれている限り、お兄ちゃんが私から離れていくことだってない。だから・・・・復讐という関係性だけは失うわけにはいかないのだ。私達はその一点だけでつながっている。私にとって、それはたとえば愛情関係なんかよりもずっと確実なつながりに思える。永遠の愛は疑ってしまうけど、永遠の憎しみなら信じられる。愛に理由はなくても、憎しみには必ず原因がある。愛の理由が進行形だとしても、憎しみの原因は過去に存在すればいい。私もお兄ちゃんもそのことをよく知っている。だから私達は、この関係性を毎晩毎晩「明日は(復讐の方法を)思いつきそう?」「思いつくよ明日は」のやりとりで確認し合うんだろう。確実なつながりを求めるせいで、私達はもはや復讐なしで一緒にいることはできない」。

2人は6畳一間の小さなアパートに住んでいる。そこには、鉄製の二段ベットがあり、上に英則が、下に奈々瀬が寝る。そして、英則は毎晩ジョギングに行くと偽って屋根裏からこっそり奈々瀬の言動を覗いている。奈々瀬は、屋根裏から英則が覗いているのを知りながら、知らんぷりしている。実は、英則が屋根裏から覗くように仕向けたのは、奈々瀬自身なのだ。

復讐と覗きで繋がっている2人の関係は、4年間、それなりにうまく続いていた。
しかし、そんな2人の間に介入する者たちが現れる。1人は英則の同僚。もう1人はその同僚の恋人で、英則や奈々瀬の幼馴染。この2人の介入で、比喩的物語がリアリティをもって展開し始め、英則と奈々瀬の自意識は崩壊する。そして、それぞれの本音がぶつかった時、物語は現実を超えたリアルな関係を描き出す。

そして、奈々瀬は叫ぶ。
「えー、だから言ったじゃないですかー。めんどくさい女だって。こういう小細工するようなぁ、別れ際に絡むようなぁ、めんどくさい女なんですよ。私はぁー」

「はいはい。知らないほうがよかったですよね!? 幻滅させちゃってほんっとすいません! でも・・・幻滅ついでにあと1個だけ本心いってもいいですか・・・」

「めんどくさくても大丈夫っていわれたかったですよ! 私は! 山根さん(英則)に・・・めんどくさいの込みでずっと一緒にいてもらいたかったですよ!・・・・畜生ぉ!」

そしてこう続く。「これでいい。偽りから解放された私は、これでやっとこの欺瞞に満ちた小さな部屋をあとにすることができる」、と。

普通、ここで物語は終わる。ところが、著者は「そのあと」を描く。
奈々瀬の叫びと共に暗転した舞台は、さらなる展開をみせるのである。

2008年6月16日月曜日

父の日のプレゼント



6月15日の土曜日。子どもたちに誘われて、久しぶりに演劇を観に行った。
山田太一原作、オフィスSHIMAプロデュース公演の『終わりに見た街』だ。初演は23年前。当時の脚本を「ギィ・フォワシイ演劇コンクール」で最優秀賞を受賞した前嶋ののが、改訂・演出している(前嶋ののは、演出作品『関節炎』で、今年、最優秀賞を受賞している)。



この原作は、1982年と2005年にテレビドラマにもなっているので、
知っている人も多いと思うが、テレビドラマとは一味も二味も違う演出には、かなりリアリティがあった。小さな劇場の狭い舞台で、休憩なしの2時間。しかし、決して長いと感じさせない演出で、特に場面展開が見事だった。

ともすれば、太平洋戦争の体験を語ることは、過去の物語を語ることになりかねない。しかし、戦争は決して過去のことではない。
その意味で、主人公の娘が叫ぶ「私たちは今を生きている」という言葉には、いくつもの意味が重なっていた。

劇を観た後に、娘と息子と食事。1日早い父の日のプレゼントをもらった。

2008年6月12日木曜日

『Story Seller』の世界-2


スイスの精神分析家であるカール・ユングは、シンクロニシティ(共時性)と集合的無意識という概念を提示しているが、共時性については、たまに感じることがある。

昨夜、70年代生まれの作家たちの小説の面白さが分からないと書いたが、昨日スイスの精神分析家であるカール・ユングは、シンクロニシティ(共時性)と集合的無意識という概念を提示しているが、共時性については、たまに感じることがある。

昨夜、70年代生まれの作家たちの小説の面白さが分からないと書いたが、日経新聞の夕刊(2008.6.10)の文化欄で、「1970年代生まれの若手演劇人が小説の世界でも存在感を高めつつある」という評論が載っていることを、今朝、知った。

その記事によると、「今話題になっているライトノベルは、キャラクター(特徴的な登場人物)を優先している」と記されていた。確かに、私の読んだ7篇の小説にも、そのことは言える。一方、演劇出身の作家たちは「構築力、文章力というオーソドックスな側面を踏まえたうえで、新しい小説に挑んでいるように感じられる」と言う。

ここで紹介されている作家は、岡田利規、前田司郎、本谷有希子の3人だが、彼らについて筆者はこう記す。
「岡田の描く若者の社会とのつながり方、前田が描くコインの裏表のような連帯感と孤独感、本谷の描く現代人が持つ過剰な自意識。「リアル」な現代演劇の作り手たちは、小説においてもそれぞれの手法によって現実を超えた現実を描いているようだ」。

たぶん、昨日紹介した7人の作品に私が感じた失望感は、「現実を超えたリアルな現実」が描かれていなかったためかもしれない。
この3人の作品を読んでみたくなった。
の日経新聞の夕刊の文化欄で、「1970年代生まれの若手演劇人が小説の世界でも存在感を高めつつある」という評論が載っていることを、今朝、知った。

その記事によると、「今話題になっているライトノベルは、キャラクター(特徴的な登場人物)を優先している」と記されていた。確かに、私の読んだ7篇の小説にも、そのことは言える。一方、演劇出身の作家たちは「構築力、文章力というオーソドックスな側面を踏まえたうえで、新しい小説に挑んでいるように感じられる」と言う。

ここで紹介されている作家は、岡田利規、前田司郎、本谷有希子の3人だが、彼らについて筆者はこう記す。
「岡田の描く若者の社会とのつながり方、前田が描くコインの裏表のような連帯感と孤独感、本谷の描く現代人が持つ過剰な自意識。「リアル」な現代演劇の作り手たちは、小説においてもそれぞれの手法によって現実を超えた現実を描いているようだ」。

たぶん、昨日紹介した7人の作品に私が感じた失望感は、「現実を超えたリアルな現実」が描かれていなかったためかもしれない。
この3人の作品を読んでみたくなった。

2008年6月11日水曜日

『Story Seller』の世界


久しぶりに小説雑誌を1冊、全て読んだ。「小説新潮」の別冊『Story Seller』である。

この別冊は、7人の作家によるすべて読み切り・書き下ろしの小説集だ。
雑誌のタイトルより大きな文字で記された「面白いお話、売ります」というキャッチコピーと「読み応えは長篇並、読みやすさは短篇並」というサブキャッチに魅かれて買ったのだ。

内容について語る前に、まず作家を紹介しよう。
伊坂幸太郎(生まれは、1971年)、近藤史恵(同1969年)、有川 浩(同1972年)、米澤穂信(同1978年)、佐藤友哉(同1980年)、道尾秀介(同1975年)、本多孝好(同1971年)の7人である。

実は、私はこの7人を全く知らなかった。当然、彼らの小説は1冊も読んでいなかった。今回が初めてである。そして、どれも面白くなかった。唯一、読み終わって「ちょっといいな」と思ったのは、米澤穂信著『玉野五十鈴の誉れ』だけだった。

ここに描かれているものは、7人が共通して描いている世界は、非常に狭い人間関係なのである。1人の男と1人の女、あるいは1人の男と1人の男、1人の女と1人の女の関係なのである。その関係も、米澤穂信の『玉野五十鈴の誉れ』以外、微妙な距離を保った危うい関係なのである。

これが、70年代に生まれた作家の共通したテーマなのだろうか。確かに、彼らが育ってきた時代の人間関係、友達関係は、1952年生まれの私とかなり違うことは分かっている。伊坂幸太郎が『首折男の周辺』で描く、いじめが始まる瞬間の描写など、まさにそうなんだろうな、と思う。しかし、そこまでである。たぶん、同世代の読者はここに描かれた人間関係に、登場人物の会話に「そうそう、そうなんだよ」と共感するのかもしれない。しかし、それ以上でもそれ以下でもない。

それでも、面白ければまだ許せる。しかし、漫画の方がよっぽど面白い。

この別冊は、1人の編集者(38歳)の独断と偏愛に基づいて作り上げたものだという。そして、その編集者は「いくら文学的な価値があっても、面白いと思われなければ意味はない」と言い切る(東京新聞;2008年5月25日朝刊の読書欄)。

編集者が「面白さ」をコンセプトに、1年かけて、独断と偏愛に基づいて作り上げた小説が、なぜ、私には面白くないのか。面白くない小説を最後まで一生懸命、それも7遍も読んだ後に、私は悩んでしまった。

そして、こう考えた。彼らが面白いと感じるものと、私が面白いと感じるものは、かなり違うのではないかと。
どう違うか。それは、小説を読み終わった時に、「安心できる」か「不安になる」かの違いではないか、と。

自分の存在、自分とまわりの人間たちや社会との関係を不安定にさせる小説を、私は「面白い」と感じる。一方、彼らはリアルな生活では実感できない安定感と安心感を物語の中に求め、それを満たしてくれる小説を面白いと感じているのではないだろうか、と。
それは、突き動かされるか、包み込まれるか、の違いでもある。

2008年6月10日火曜日

ソウルの街を埋め尽くすローソクの明かり


      ▲ソウル光化門の交差点を埋め尽くす民衆(朝鮮日報より)

韓国の「聯合ニュース」によると、韓昇洙首相をはじめ閣僚全員が一両日中に辞意表明する意向であることを、李明博大統領に伝えたという(10日午前)。米国産牛肉の輸入再開決定をめぐる国政混乱の責任をとるためだ。

現在、韓国では「狂牛病の危険性のある米国産牛肉輸入に反対する国民対策会議」が、全国で100万人の「ろうそく大行進」を行っており、今夜(10日)、ソウルでは約14万人がデモに参加しているといわれている。
6月10日は、1987年6月に韓国全土で起きた民主化運動「6・10民主抗争」の21周年記念集会も同時に行われる。

100万人デモという国民的運動のきっかけを作ったのは、1人の高校生だという。韓国の学生たちは、自分たちの意志を「はっきりと示す」ことの大切さを知っている。自分たちの意思をきちんと主張することが、政治を変え、将来を創りだす唯一の手段であることを知っている。そしてなによりも、みんなの力、連帯の力を信じている。

   ▲ソウルの街を埋め尽くすローソクの明かり 「聯合ニュース」より

隣国のこうした抗議集会をみる度に、私は「日本人は実に大人しい」と思う。問題は年金や後期高齢者医療制度だけではない。
税金の無駄使い、憲法を無視した自衛隊の海外派遣、労働者を追い詰める大企業優遇政策。
散々、好き勝手にやられ、最後は「自己責任」という無責任な言葉で放り出させる。

私たちは、なぜ怒らないのか。
いつまで大人しく、言いなりになっているのか。
もしかしたら、私たちは既にあきらめてしまったのか。
もしかしたら、私たちはみんなの力を信じていないのか。
あきらめたら、みんなの力を信じないのなら、私たちに将来はない。

2008年6月7日土曜日

ホンダのライブコマーシャル

友人のブログで紹介させれていたホンダのTVCM。
先週末、英国のテレビで放送されていたという。
19人のスカイダイバーが大空に,H、O、N、D、Aの5文字を描くライブ映像。
Difficult is worth doing: Honda Accord Live TV Ad

2008年6月6日金曜日

瀬戸大橋を列車で渡る


岡山から松山へは列車の旅。
岡山駅11:34分発の「しおかぜ9号」で松山に向かった。
この列車の別名は「アンパンマン列車」だが、車体にアンパンマンの絵が描かれているだけだ。
岡山駅を出発した列車は、倉敷市茶屋町駅から南下し、瀬戸大橋を渡り、香川県の宇多津駅から予讃線に入る。
瀬戸大橋は、3つの吊橋、2つの斜張橋、1つのトラス橋をつないだ全長13.1kmの長大橋で、上部が自動車道路、下部が鉄道となっている。夜にはライトアップするらしい。
ライトアップの風景

▼車窓からの瀬戸内海


6つの橋をつなぐ瀬戸大橋の下には、橋桁となった小さな島がある。
▼運転手の後ろから前方をみると、まるで遊園地のジェットコースターに乗っているようだ。


香川県に着くと、そこは大きなコンビナートがあった。
列車は右手に瀬戸内海を見て松山に向かう。途中の水田では、田植えの真っ最中だった。気がつくと線路は単線。14:15に松山駅に到着。2時間41分の在来線の旅は久しぶりだ。松山駅の周辺は閑散としている。



▲ホテルの前の山頂に松山城がある。

ボーリングで一服

Widgetboxでみつけたボーリングゲーム。
かなり良くできている。面白いよ。
まず、「New game」をクリック。
次に「Go」をクリックして、上部のゲージが黄色のところで放す。


C型慢性肝炎



1975年以降、日本では肝臓癌で死亡する人が急増しており、その原因の約80%はC型肝炎ウイルスだといわれている。このC型肝炎ウイルスに感染している人は、現在日本に、約150万~200万人いるといわれている。しかし、きちんと治療を受けている人は約50万人で、残りの100万~150万人の中には、症状がないため、自分がC型肝炎ウイルスに感染していることに気づいていない人も多いといわれている。

C型慢性肝炎の治療方法は、年々進歩し、現在では60~70%の慢性C型肝炎患者さんでウイルスが排除できるようになってきた。しかし、残りの40~30%の患者さんでは、まだウイルスを排除することができない。特に、65歳以上の女性の治療が難しいといわれている。

そこで、今日(2008年6月5日)から松山市で開かれた肝臓学会では、高齢者、特に高齢女性に対する治療方法について、さまざまな報告が行われた。また、ウイルスを排除する新しい薬の開発も行われており、その有効性についてのも報告も行われた。その中に、非常に興味深い報告があったので紹介する。

それは、ニタゾキサニド(Nitazoxanide 商品名:Alinia)という薬の存在だ。この薬は、ランブル鞭毛虫、赤痢アメーバ、回虫、鞭虫、肝蛭などに使われてきた薬で、どうやらエジプトで開発された薬らしい。最近は、後天性免疫不全症候群(AIDS)などの免疫不全でおこるクリプトスポリジウム症の治療薬として期待されているものだが、この薬がC型慢性肝炎に効くことが明らかになった。

実は、かなり以前から、この薬がC型肝炎ウイルスの排除に有効であるという報告がなされていたようだが、「エジプトの薬」という偏見があって、先進諸国の医師たちは信用していなかったようだ。しかし、今年ミラノで開かれた欧州肝臓学会で、その有効性が発表され、多くの医師が注目し始めたという。

その有効性を簡単に説明すると、現在、日本で行われている標準治療法でウイルスを排除できなかった人たちに、
標準治療+ニタゾキサニドの治療を行うと、なんと4人に1人の割合でウイルスが排除できたという。つまり、標準治療では全く効果がなかった患者さんにニタゾキサニドを追加投与すると、25%の患者さんが治ることになる。
この数字は、現在先進諸国の大手製薬メーカーが開発しているC型肝炎ウイルスの治療薬の有効性より、はるかに高い。

ニタゾキサニドが、なぜ、C型肝炎ウイルスに有効かは分っていないが、既に多くの人がこの薬を飲んでいるので、その副作用・安全性は明らかになっているし、なにより値段が安い。

しかし、この薬が日本の日常診療で使えるようになる可能性は、ほとんどないと思われる。なぜなら、現在開発中のC型肝炎ウイルスに対する薬には、膨大な開発費が既に投入されており、ウイルスを排除する機序も明確だからだ。


              ▲Rossignol.et al. EASL2008より
                PegIFN+RBV:現在の標準治療薬
                NTZ:Nitazoxanide
                SVR:治癒率

2008年6月4日水曜日

ゾウはなぜ殺し屋になったのか



今日(2008年6月4日)、NHK教育テレビで放映された【地球ドラマチック ゾウはなぜ殺し屋になったのか】は、非常に興味深い内容だった。
ここに描かれていることは、単にゾウの社会だけのことではない。私たち人間の社会にも、全く同様なことが起こっている。唯一違う点は、ゾウは人間によって家族と社会を失ったが、人間は自らの手で家族と社会の絆を断とうとしている点だ。
そこで、その内容を番組のホームページから引用する。

■謎の事件-1
1992年、南アフリカ・ピラネスバーグ国立公園で見つかったサイの死体の傷は、サイ同士の争いでは絶対につかない、背中や首の後ろに集中していました。
サイよりも大きく力の強い生き物はゾウしかいません。死体のまわりにはゾウの丸い足跡も残されていたため、公園の担当者は近くにいたゾウを撃ち殺しました。すると、ぴたりと事件は収まりましたが、1年ほどのち、再びサイがゾウに殺され始めました。
サイを襲ったゾウは複数いて、すべてが若いオスでした。彼らは大人の年齢に達するよりもはるかに早い時期に性的に成熟してしまい、暴れていたのです。

■謎の事件-2
1996年、ケニアのアンボセリ国立公園では、マサイの人々の大切な牛がゾウによって殺される事件が次々に起きていました。マサイの人々は槍でゾウに反撃しましたが、ゾウの攻撃を止めることはできませんでした。

■謎の事件-3
2006年、ウガンダのとある村で、ある男性が畑から家に帰る途中で突然ゾウに襲われ、殺される事件が起きました。人間が何も攻撃していないのに、ゾウが襲ってくるのは珍しいことでした。

●3つの事件の真相・・・「人間の暴力」と「ゾウの心の傷」
ピラネスバーグ国立公園は1979年に作られました。そのとき、南アフリカ全土から野生動物が集められましたが、当時の運送技術では大人のゾウは運べなかったため、子ゾウだけが連れてこられました。邪魔になった母ゾウは子ゾウの目の前で撃ち殺されていたのです。
アンボセリ国立公園が1974年に作られたとき、古くからその土地に住んでいたマサイの人々は立ち退きを迫られました。彼らは不当な扱いに怒り、公園のシンボルだったゾウを殺して抗議していたのです。目の前で子どもを殺された母ゾウもいました。
ウガンダでは、1970年代、暴力と恐怖が渦巻いていました。アミン政権下で人間もたくさん殺されたこの時代に、ゾウもまた、肉や象牙を取るために大量に殺されていたのです。

感情豊かで、優れた記憶力を持っているといわれるゾウ。
何世代にもわたる家族が、一緒に暮らす動物です。
そんな家族の絆が人間の激しい暴力によって破壊されたとき、ゾウは健やかに成長するための環境を失い、心には大きな傷が残されました。
それが後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)となり、ゾウが暴れる原因となったと研究者たちは考えています。

●ゾウ社会の再生を目指して
ゾウ社会を立て直す試みが始まっています。
南アフリカでは、別の国立公園から大人のオスが連れてこられました。すると、暴れていた若いオスたちはすぐにおとなしくなりました。ゾウの社会には、やはりきちんとしたお手本が必要でした。
人間は、野生動物を管理しようとしてゾウを傷つけ、ゾウはその苦しみのために暴れていました。すべての原因は、私たち人間のふるまいにあったのです。

原題:Revengeful Elephants
制作:Tigress Productions /イギリス/2007年
2008年6月4日放送

人間は血管から老いる



“人間は血管から老いる”といわれるように、血管は加齢と共に老化していく。血管が弾力性を失って、堅く脆くなった状態が動脈硬化である。血管は単に血液を全身に送る管ではなく、さまざまな働きをする大きな臓器で、その働きが衰えると血管が支える心臓、脳、腎臓、筋肉なども衰えていく。

加齢によって硬くなった血管は、高血圧や糖尿病などのストレスで容易に傷がつく。その傷に脂肪などのカス(プラーク)がたまると、血管は細くなり、十分な血流を臓器に送れなくなる。例えば、足の太い血管が詰まって細くなると、歩くと足に痛みを感じるようになる。普通、足が痛むと整形外科を受診する人が多い。しかし、治療を受けてもなかなか良くならない場合は、循環器内科や血管外科を受診する方がいい。特に、少し休むと歩行時の痛みが軽減する場合は、足の血管が詰まっている可能性が高い。同様に、心臓の血管が細くなると、十分な血液が心臓にいきわたらないので、歩行などの労作時に息苦しさを感じるようになる。これが狭心症である。

血管にたまった脂肪などのカス(プラーク)が崩れると血管が完全に詰まることがある。心臓の血管が詰まると心筋梗塞に、脳の血管が詰まると脳梗塞になる。

脳梗塞の原因の1つとして、最近注目されているのが、首の両側にある頸動脈にプラークができる病気だ。心臓から送り出された血液は、首の頸動脈を通って脳に至るが、その頸動脈にプラークができて細くなったり、そのプラークが崩れて血管が完全に詰まると脳梗塞の原因となる。

この病気は、「手で掴んだ物がポトリと落ちる」といった軽い運動障害や、「口がよく回らない」といった軽い言語障害などで発見されることもあるが、片側の眼が急に見えなくなって、数分で良くなる場合も頸動脈が詰まっている可能性が高い。

治療法は、血液をさらさらさせる薬(アスピリンなどの血小板凝集抑制剤)による治療と頸動脈を外側から切り開いてプラークのある部分を取り除く手術。さらに、狭くなった頸動脈に金属製の網状の筒(ステント)をいれる手術「頸動脈ステント留置術」がある(上の写真参照)。

「頸動脈ステント留置術」は、足の付け根(大腿動脈)から細い管(カテーテル)を入れて治療するので、全身麻酔の必要もなく、40分程で終了し、入院期間も数日から1週間と短い。全身へのストレスが少ないため、高齢者や心臓病などをもった人には、最適な方法だといわれている。

しかし今まで、頸動脈にステントを入れる手術には大きな問題があった。それは保険で治療が受けられなかったことである。心臓の血管や足の血管にステントを入れて治療することは、既に保険でできる。しかし、頸動脈や脳の血管にステントを入れる治療には、保険がきかなかったのである。
しかし、2008年の4月から頸動脈にステントを入れる治療も保険でできるようになった。
そこで早速、その手術現場を見学に行った。その様子は次回報告する。

2008年5月29日木曜日

携帯電話とペースメーカー



前のブログに携帯電話を利用した無線LANのことを書いたところ、「ペースメーカーを入れているのに、大丈夫なのか?」というコメントをいただいた。確かに、携帯電話はペースメーカーの動作に影響があると言われ、電車などの優先席では携帯電話をOFFにするように、とアナウンスがある。

実際、ガイドライン(日本医用機器工業会 ペースメーカ協議会)では、『携帯電話端末をペースメーカーから22cm以上離すこと。ペースメーカー植え込み部位と反対側の耳で通話すること』となっている。

しかし、少なくても私のペースメーカー(Medtronic製のENPULSE E2DR01:2006年7月に手術)の植え込み部位に携帯(AUのCDMA 1X WIN)を密着させて発信させても、全く支障はない。携帯電話だけでなく、無線LAN、電子レンジ、IHクッキング器、国内の飛行場の金属探知器や盗難防止探知器などで、今までに問題が生じたことは、一度もない。そこで、ペースメーカーを入れる前とほとんど同じ生活スタイルを行っている。もちろん、ある程度以上の電磁干渉を受ける可能性が高い機器の近くに長時間滞在することは避けている。

しかし、これらはあくまで私の個人的体験で、根拠はない。そこで、ペースメーカーに対するさまざまな電波の影響を調べたところ、総務省の【電波利用ホームページ】に詳しい検討報告がのっていた。

その報告によると、
①800メガヘルツ帯W-CDMA方式の携帯電話端末から発射される電波については、「植込み型心臓ペースメーカのペーシング機能に影響を生じる場合があることが確認された。この影響は、携帯電話端末を遠ざければ正常に復する可逆的なもので、最も遠く離れた位置でこの影響が確認されたときの距離(最大干渉距離)は3cmでした」と記している⇒参照
また、1.7ギガヘルツ帯W-CDMA方式の携帯電話端末の影響については、「最大1cm未満の距離で影響を生じる場合があることが確認されました」と記している⇒参照

②無線LANについては、「影響を受けた植込み型医用機器は1機種であったことから、厚生労働省の協力を得て、医療機関を通じ同機種の利用者全員に対して、試験結果に基づく注意喚起を行った。よって、現時点で特段の注意をされていない植込み型医用機器の装着者は、無線LAN機器に対しては特別の注意は必要としない」と記している⇒参照

③Bluetoothについての検討報告は見当たらず、携帯電話と同じように「心臓ペースメーカーの装着部位から22cm以上はなして使用してください」といわれているが、無線LANと同じ2.4ギガヘルツ帯を使っているので、ほとんど問題はないと思われる。

以上のように、少なくても3㎝離れていれば携帯電話の影響はほとんどなく、無線LANも1機種のペースメーカー(メーカー名&機種は不明)を除いて使用可能といえる。一方、「据置きタイプ電子タグシステム(高出力型950メガヘルツ帯パッシブタグシステム)からの電波で、最大「75cmセンチメートル」の離隔距離でペースメーカに影響が生じることが判明した」という報告があるので、この点には注意が必要だ⇒参照

ブログへのコメントをきっかけに、さまざまな電波がペースメーカーに与える影響を調べたところ、きちんとした検証が行われていることが分った。しかし一方で、こうした情報が正確に伝わっていないのは、大きな問題だと思われた。3㎝離れていれば全く問題がないことが明らかになっている携帯電話について、22㎝以上離す必要があるというガイドラインの記述は、ペースメーカー使用者とその周囲の人たちに不必要な不安を与えると共に不便を強いるものである。

2008年5月18日日曜日

歩く無線LAN


   ▲S11HTとiPod touch


今まで、さまざまな電子手帳を使ってみたが、結局、手書きの手帳に戻っていた。しかし、iPod touchを購入してから、手帳を開くことがなくなった。もちろん、音楽データも入れていいるが、電子メールと予定の確認、ちょっとしたメモは、iPod touch1台で十分である。

インターフェイスの使いやすさはもちろんのこと、メールに添付されたワードやエクセル、PDFファイルも読むことができる。これでPPTファイルが読めれば、文句は全くない。

予定は基本的にGoogleカレンダーに書き込みんでアシスタントと共有しているが、最近、このカレンダーとOutlookのカレンダーを同期するソフトをGoogleが配布し始めたので非常に便利になった。まず、Googleカレンダーに書き込み、Outlookに同期し、そのデータをiPod touchに同期すればよい(私はiPod touchをWinで使っている)。

しかし難点があった。それは、iPod touchを使うには無線LANが必要なことである。そのため、外出先では公衆無線LANが使える喫茶店などを利用していた。しかし、イー・モバイルのEMONSTER(S11HT)を購入して状況は一変した。

このS11HTは、国内のスマートフォンで唯一、「インターネット共有」機能を標準搭載しているため、無線LANとしても使うことができるのだ。データ通信速度は下りが2.5Mbpsなので、iPod touchでインターネットを見たり、添付ファイルを下しても全くストレスを感じない。この機能は、Bluetoothでも使えるが、通信速度が落ちるので、私はWMWifiRouterというオランダのモロースメディア社が配布しているソフトを使っている。

このソフトを起動させると、どこでもiPod touchが使えるのである。イー・モバイルの通信可能エリアは、まだ大都市に限られているが、出張を含めて、十分に満足できるインターネット環境が作れる。

もちろんノートパソコンもどこでも使うこともできる。まさに歩く無線LANである。

私の心臓の話 その5



心臓ペースメーカーを入れて以来、心臓が遅くなる「徐脈」は解決したが、心臓が早くなる「頻脈」は解決していない。しかし、ペースメーカーを入れてから、頻脈は自然に治っていた。短い時は数分、長くても36時間以内には自然に治っていた。

ところが、今週の月曜日に始まった頻脈は、なかなか止まらなかった。心臓は1分間に160~180回拍動し、薬を飲んでも120回より少なくなることはなかった。

そのうち、家庭の血圧計では血圧が測れなくなった。いつもの頻脈と違って、かなり疲労感もあり、起き上がるとボッーとして仕事にならない。その上、手首で脈拍が感じないほど動悸が弱いので、心不全を心配して、水曜日に病院に行った。

心電図から、1:1の心房粗動(心房頻脈)で、脈拍は180回。血圧は上が(収縮期)80mmHgで、下は(拡張期)は測定不能であった。自然に止まりそうもないので、さっそく治療で止めることにした。

ペースメーカーを入れる前は、数日間入院して、脳卒中の原因となる血栓の有無を確認し、麻酔をかけて心臓に電気ショックを与え、一旦心臓を止めて拍動をリセットする治療を受けていた。

しかし、ペースメーカーを入れているので、ペースメーカーにコンピューターから指令を送り、脈拍数を徐々に上げることで頻脈をリセットできる。

コンピュータからペースメーカーに指令を送るのは、テレメトリーとよばれる小さな装置を、植え込んだペースメーカーのうえに置くだけだ。通常、ペースメーカーの電気刺激は、1分間に60~70に設定してあるが、その電気刺激の回数を上げていく。

普通なら、250回前後に上げるとリセットできるらしいが、私の頻脈は頑固で300回を越してもリセットできず、350回ぐらいでやっと心房細動に移行した。

心房細動は心房粗動(心房頻脈)と異なり薬で止めやすい。そこで、次に抗不整脈薬(サンリズム)の点滴を受けることになった。つまり、ペースメーカーからの刺激で粗動を細動にかえて、さらに薬で細動を止めるという二段階治療である。

点滴の準備をしている間、心電図を見ていた医者が「あ、洞調律になった」と言う。確かに、それまで不規則に暴れていた心臓が突然静かになった。

こうして、頻脈は治まり、仕事場に戻った。

2008年4月16日水曜日

出版パーティー 『分断時代の法廷』



前韓国大統領の金大中氏が「韓国の代表的な良心的人権弁護士」と呼ぶ韓勝憲(ハン・スンホン)氏の著作が翻訳され、岩波書店から出版された。
『分断時代の法廷―南北対立と独裁政権下の政治裁判―』である。
そして、その出版パーティが、今夜、東京で開かれた。

本書は、「(韓弁護士が)40年余りに渉って担当した時局事件、政治事件百件余のうち、50件を選んで、事件の概要(時代背景、政治状況、裁判経過と結果など)を自ら綴る。朴正煕(パク・チョンヒ)政権から盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権まで、韓国の民主化、南北統一、人権擁護を求めた粘り強く広範な人々の戦いの軌跡を、法廷という場を中心に、弁護士の立場で証言する」(本書の「そで」のコピーより)。

そして著者は、本書の「帯」にこう記している。
「本書が1960年代以後の韓国の政治状況と歴代軍事独裁の中で、民主主義と人権を獲得するための韓国国民の戦いを理解するのに役立てば嬉しく思います。
韓国が今のように自由と民主主義を享受できるようになるまで、実に多くの人々の戦いと犠牲が重なったという事実も忘れることができません。そして、その方々の信念と受難をありのままに伝えることが、殺伐とした法廷の弁護人席を守った私の「忘却防止義務」であると考えています」。

本書は、1965年の小説『糞地』筆禍事件から始まり、金芝河の詩『五賊』筆禍事件、徐勝氏らの在日同胞留学生スパイ事件、延世大学教授拘束事件、光州民主抗争と続き、2003年の宋斗律教授事件で終わる。

ここに記された1970年の『五賊』筆禍事件から1980年の光州民主抗争までの約10年間は、まさに私が韓国と密接に関わった10年間でもある。そして、本書の著者である韓弁護士と出会ったのが1981年のクリスマス。私は、光州民主抗争で捕まりクリスマスに釈放された何人かにインタビューをしていた。

その際、本書にも登場するフランス文学徒であり演出家だった加村赴雄氏に託された手紙とカンパを、その年の5月に釈放されたが弁護士資格を停止されていた(1983年に復権)著者に届けた。
それが、韓弁護士との出会いだった。

2008年4月11日金曜日

私の心臓の話 その4



ペースメーカ-は鎖骨の少し下に埋め込むので、まず、その部分に麻酔注射をうつ。そして麻酔が効くと電気メスで切開し、大胸筋の膜の下にペースメーカーを埋め込む。次に鎖骨下静脈という血管の中を伝って心臓の中まで導線を入れ、導線の先を心臓の内壁に固定する。その後、導線とペースメーカーを接続し、傷口を縫い合わせて終了する。
私の場合、導線は2本で、それぞれ右心房の内壁と左心房の内壁に固定されている。



普通は2時間ほどで終わる手術だ。手術前日に行われた医師の説明でも1~2時間程度で終わるといわれた。しかし稀に、鎖骨下動脈に導線が入らない場合があるが、その場合は他の血管を使う。また、稀に心臓の内壁がツルツルで導線の先を固定することが難しい場合もある、と医師は説明した。しかしいずれの場合も極稀である、とのことだった。

ところが、私の場合、この稀なことが重なった。まず、鎖骨下静脈がいくら掘っても出てこない。そこで、第2選択の血管に導線を入れた。すると次に、心臓の内壁に導線の先がなかなか固定できない。少し引っかかっても、咳をするとすぐに外れてしまうのだ。極稀なケースが2つ重なったことになる。そこで手術が終わるまで5時間を要することにとなる。

局所麻酔なので、この間、当然意識はある。医師との会話もできるし、医師の焦りと困惑も伝わってくる。手術室の焦りと緊張が極に達した時、医師がこう言った。
「少し休もう。でも、あきらめたわけではない。必ず、うまくいく」
その言葉通り、5分の休憩後、それまでの事態が嘘のように、電極の先端が心臓の内壁に固定された。いくら咳をしても、もはや外れることはなかった。

ペースメーカーが開発されたのは1950年代の後半で、最初のものは下の写真のように体外式で、非常に大きなものだった。それがわずか40数年で4×5cmの大きさになり、身体の中に埋め込んだまま5~7年間も動き続けるようになるのである。

               ▼最初の体外式ペースメーカー


◆参照:ペースメーカ-について

2008年4月9日水曜日

プラハの春 ラサの春


▲プラハのお土産。木の笛と独楽。

娘がプラハ&ウィーンの旅から帰ってきた。
プラハというと思いだすのが、春江一也著『プラハの春』(集英社文庫)。

1968年の春。チェコスロバキアは、国民の自由化運動に応えるように、新任のドプチェク党第一書記のもとで自由化政策がとられていた。しかし、8月20日の深夜にソ連率いるワルシャワ条約機構軍が侵攻し、チェコスロバキア全土は占領下におかれ、自由化運動=プラハの春は終焉する。
本書は、当時のプラハを舞台に、民主化を求める活動家カテリーナと外務省職員堀江亮介の恋を描いている。

プラハの春から40年経た今年の3月。
中国チベット自治区の首都ラサで大規模な抵抗運動が起きた。
中国人民解放軍がラサに進駐してチベットを併合したのは1950年のことである。
その後、チベットの人々は自由と独立を求めて大規模な抵抗運動を何回か起こしている。
最初はダライ・ラマが追放された1959年の3月。それから30年後の1989年の3月にも大規模な抵抗運動が起こっている。その結果、これまでに100万人を超える犠牲者がでていると言われている。

中国はなぜ、強硬手段でチベットを統治しようとするのか。
それは、チベットに眠っている豊富な地下資源にあると、今日の「NB online」が伝えている。

1968年春のプラハと2008年春のラサ。
人々が求める自由と独立は、いずれ実現することを歴史が語っているが、その実現には多くの犠牲を伴う。
ラサでは今、プラハの春の悲劇が繰り返されている。

娘がウィーンで買ったチョコレート。
オーストリアでは、Mozartもチョコレートのなっていた。